【小説】東京テルマエ学園 第2章 18話「オリンピック代表選考会」 後編

「なんでアンタ達がここにいんのよ」

とある日曜日、アキ達が神奈川県にある東京五輪スケートボード予選大会の会場へ着いて早々顔を合わせたのは、不機嫌そうに腕を組む優奈だった。

いつも見ているきらびやかな姿とは違い、薄ベージュのトップスに細身のデニムパンツ、日焼け防止のネイビーの羽織りをさらりと着こなしている。長い茶髪を頭の低い位置で無造作にお団子にし、羽織りと同じ色のキャップをかぶっている姿はとてもキャバ嬢には見えない。

優奈がここにいることを同室の穂波も知らなかったのか、きょとんと目を瞬いている。

「なんでェ、お前さんも応援に来たんかい?」

「何でもいいでしょ別に。アンタ達に構ってる暇なんてないの、ほっといて」

尋ねる穂波からつんと顔をそらし、スマホを見ながら優奈は観客席に囲まれたスケボコースへと足を進める。アキ達は顔を見合わせたが、きっと行く場所は同じなのだろうと優奈の後をついていった。

この日は萌の出場する東京五輪スケートボード予選会の決勝戦なのだ。この試合で勝ち抜ければ見事東京五輪への切符が手に入る。せっかくの日曜で授業もない、頑張る萌を応援しようとアキ達いつものメンバーは神奈川県まで足を運んだというわけだ。まさか優奈もいるとは思わなかったけれど。

「わあ、すごい人!」

会場へ着いたときから人は多かったが、競技を行うコース会場は段違いだ。観客席は大勢の人で埋まり、席に座れない人達はスケボコースを囲う柵のところで立ち見をしている。観客席へと繋がる階段通路もあぶれた人が椅子代わりに腰掛けていて、スケートボードというスポーツへの感心の高さが伺えた。

「今年は東京でオリンピックが開催されるってことで、スノボをやってる選手がスケボに転向して五輪出場を狙ってるから、その選手のおかげでスケボに興味が出た人もいるんでしょうね」

「へー。日本人にとって、東京で開催されるオリンピックっていうのは特別だもんね~」

「スノボとスケボはそこまで変わりないらしいしなァ。コンクリでやるか雪でやるかっつーだけだろ。多少の調整はいるんだろォが、慣れりゃ一緒さ」

観客の多さに圧倒されながらも落ち着ける場所を探すアキ達とは違い、きょろきょろと忙しなく周りを見渡していた優奈はふと、柵の端に一人佇み、帽子を深くかぶっている大柄な男に目を留める。じっと見つめたかと思うと、ふわりと可憐な少女のように微笑んで男へと近づいていく。

「翔平さんじゃないです? 偶然ですね!」

「あれ、まゆりちゃんじゃん!」

「やだな、ここでは優奈って呼んでくださいよ」

「そうだった、優奈ちゃんだよな。いつもと雰囲気違うから誰かと思ったよ」

「えー、似合わないですか?」

「いや、いいんじゃねえ? ドレス姿も綺麗だけど、こっちのスポーティーの方がオレは好きかな」

「やだー嬉しいー、ありがとうございまーす」

可愛らしく小首を傾げてみせる優奈に、様子を見ていた穂波の口元が引きつった。

「おいおい、猫何匹かぶってんだ。つーか絶対偶然じゃねエだろリサーチしたろ」

男の正体にすぐさま気づいた穂波は大きくため息をつく。

彼が大好きな優奈のことだ、彼が妹の萌を大事に思っていることをよく知っているはずだ。萌の五輪を掛けた試合の応援に彼が来ないはずがないと、彼のチームの試合日や練習時間などを考慮して、彼が応援に来るだろう時間を割り出し、それに合わせて会場へ訪れたのだろう。ストーカー怖い。

「えー、あれ誰? 帽子でよくわかんなーい」

「優奈ちゃんのお友だちかなぁ?」

「いやー友達ならあんなぶりっ子しないっしょ。声かけてみよ。おーい、優奈ー! 何してんのー!?」

「あっ、ちょっと汐音ちゃん!」

優奈のところへ走り出した汐音に慌ててアキ達も続く。汐音が声をかけると、上機嫌だった優奈は顔を歪め、鋭く汐音を睨みつけた。

空気読みなさいよ、話しかけてくるな、あっちいけと不満を露にしながらも男の手前、優しさを取り繕うことにしたのだろう、優奈はそれはそれは綺麗に微笑んだ。

「こちら翔平さん。萌のお兄さんよ、あんた達も知ってるでしょ?」

「萌のお兄さんって……」

「うっそ、エンジェルスの平泉翔平!? マジで!?」

優奈に紹介された翔平は帽子のツバを軽く上げ、爽やかに笑う。顔を見て、本物の平泉翔平だと気づいてアキ達はええっと大声を上げた。途端困った顔をする翔平にお忍びで来ているのだと察した七瀬と穂波はアキと汐音の口を慌てて塞ぐ。

萌と同室でルームメイトなの、とアキ達を簡単に紹介すると、翔平は思い出したように顔を輝かせた。

「ああ! 萌から話は聞いてる。萌と仲良くしてくれてありがとうな!」

「い、いえいえ!」

「いやーあの萌がこんな可愛い子たちと友だちになるなんてなー、信じられんわ。アイツ結構ズボラだし適当だしマイペースだし、一緒にいると苦労すること多いだろ?」

「あー……ハハハ」

翔平の言葉に思い当たることが多々あるのか、同室の汐音は空笑いを漏らした。「うちらの部屋結構ぐちゃぐちゃです、萌の脱ぎ散らかした服とか読んで置きっぱなしの雑誌とか」と遠くを見つめる汐音へ「だよな」と実感のこもった頷きを返された。

「アイツさ、結構寂しがりだから地元出て友達もいない東京でちゃんとやってけんのかなーってちょっと心配だったんだけど、いつも電話であんた達の事面白おかしく話してくれてさ。寂しいと思うヒマがないって楽しそうにしてたからほっとしたんだよ。これからも仲良くしてやってくれな」

テレビで見るのとは違う、萌への愛情に溢れた翔平の表情に優奈は手を目元に当てて空を仰いでいる。平泉翔平選手がここまで妹思いだなんて知らなかった。「はー……尊い」とぽつりと零れた優奈の言葉は幸いにも穂波にしか届かなかった。

その時、ピンポンパンポンと放送が流れる。どうやら試合が始まるらしい。

「お、そろそろか!」

コースへ向き直る翔平の隣をちゃっかりゲットした優奈はスマホを弄りながら幸せそうに口元を緩ませている。優奈の隣に並びながら、アキはそういえばと声を上げた。

「わたしスケボのルール全然わかんないや。どうしたら勝ちになるの?」

「うーんとね、簡単に言えば、フィギュアスケートみたいに技を決めたら得点が入って、一番高い点数になった人の勝ちってこと」

スケートボードには2種類の種目があり、萌が出場するのはパークという種目だ。大きなおわん型を複数合わせたプールのような窪んだ形をしたコースを、技を披露しながら得点を争う競技である。

予選会決勝であるこの試合では、一人の持ち時間は45秒。チャンスは2回。難易度の高い技を成功させればその分得られる点数も高い。

窪地の傾斜を利用して、いかに高いジャンプで華麗な技を決めるかが重要だ。

決勝には萌を含めて8人の選手が残っている。そのうちの2人はスノーボードからの転向で、五輪出場に期待されている選手でもある。

「オリンピックに出場するには、パークの世界ランキングで15位以内に入るか、この予選会で上位3位に入るかしかないんだ。出場枠は最大で3人だけ。対象の大会で優勝すれば世界ランキングが上昇して15位内に入れるんだが、2位3位はあってもアイツの優勝はゼロ。この予選会しかチャンスはないんだけど、スノボから転向した女子選手2人が世界ランキングの15位以内に入ってるから、残りの出場枠は一人だけ。萌にとっちゃ、かなり厳しい戦いになる」

パークコースを見据える翔平はそれでも、萌の優勝を信じている。アキ達も応援するのみだ。

両手を組んで見守るアキ達の前に萌が姿を現したのは、試合が始まってから三番目だった。スタート地点となる壁の上に立ってボードを構える萌へアキ達は一斉に声を上げる。

「萌ちゃんがんばれー!」

「実力みせてやれー!!」

声援を受けて、萌は壁を滑り降りた。おわん形のプールをまるで泳ぐように滑っていく。

おわんの淵を添うように走ってみたり、淵であえてボードのローラー部分で乗り上げてみたり。ぐんぐんスピードを上げたかと思えば、崖のような傾斜の厳しい場所で高くジャンプを決めてみせた。

特に目を引いたのは、萌が傾斜をジャンプした瞬間、ボードがくるりと回転した時だった。まるでボードが意思を持っているかのように優雅に一回転し、萌の足の下へと戻ったのだ。この時には観客席からも歓声が響いた。

スケートボードが全くわからないアキから見てもその演技はすばらしいもので、転倒することなく演技を終えてガッツポーズする萌へと惜しみなく拍手を送った。

「すごーい! 萌ちゃんが滑ってるとこ初めて見たけど、ほんとすごいね!!」

「ボードがぐるってなったどぎはおどろいだね!」

「ね! あれすごかったよねー!」

正に、すごいとしか言えなかった。興奮したようにアキは隣の涼香と手を取り合う。

そうこうしている間に、得点が出た。観客席が「おおー!」と沸いたが、アキにはさっぱりわからない。どうなったの、ときょろきょろ周りを見渡していると、優奈が「暫定一位になったのよ」と教えてくれた。

「えっ一位!? 優勝したの!?」

「バカなのアンタは? まだ二週目もあるし、何よりまだ三番目。順位なんていくらでもひっくり返るわよ」

ふんと鼻を鳴らす優奈の言葉に、それでもこのまま一位だったら優勝だよね、と鼻息を荒くするアキ。しかし優奈の言うとおり、他の選手の演技が続いていくにつれ萌の出した得点よりも高い点数が付けられていき、萌の順位も落ちていった。

「暫定三位かー、ひっくり返っかな?」

「さっきの、ボードがくるってなったやつ。あれもっかい成功させて、他の技も成功すれば……なのかも?」

「ルールがよくわからねェから何とも言えねエよなア。だがさっきの選手のジャンプは高かったな。あれっくらい萌も高く飛べばワンチャンあるんじゃねエか?」

「萌ちゃんがんばれー!!」

ルールや難易度を知らないまま好き勝手に、けれど萌に勝って欲しいと期待を込めて話しているアキ達を優しい目で翔平が見ていた。

学生の身で他県まで応援に来るなんて金銭的に厳しいだろうに、「せっかく遠くまで来たのに」なんて無粋な言葉を誰も口にしない。ルールも技も知らない競技なんて退屈でしかないだろうに、ただただ、今まで頑張ってきた萌が結果を出せるように応援してくれる。萌にとって、何より嬉しいことだろう。

「いい友達がいてよかったよ、ほんと」

ぽつんと落ちた言葉に、ちらりとアキ達を横目で見た優奈は肯定はしなかったが、否定もすることはなかった。

そして、二巡目が始まる。暫定三位の萌は、これで一位を叩き出せなければ五輪出場は臨めない。

アキ達が固唾を呑んで見守る中、萌の演技が始まった。

滑らかに、力強く滑るボード。スケートボードをよく知らないアキは一回目の演技とどこが違うのかがよくわからなかったが、萌の出す技がきちんと成功することだけをただ祈る。

「がんばれ、がんばれ萌ちゃん……!」

組んだ両手にぎゅっと力を込める。と、ジャンプした萌のボードがまたもくるりと回転する。乱れることなく萌の足の下へと戻っていったボード、観客が一斉に沸いた。

「よし行けっ!」

思わず拳を握る翔平。ボードが回転する技は、アキが思うよりも高難易度の技のようだ。

そのままぐんぐんとスピードに乗る萌。おわん型のプールを何度か行き来したと思ったら、勢いに乗って高いジャンプを繰り出した。

「わあ……っ!」

この試合で一番高いジャンプだった。アキは思わず見蕩れてしまう。

そのまま重力に従って落ちてくる萌。ボードが傾斜に乗ろうとして――鈍い音をたてて淵にぶつかってしまった。

バランスを崩した萌。宙へ投げ出されるボード。

萌はおわん型の窪地へ転がり落ちてしまった。

「きゃあっ!!」

「萌ちゃん!!」

「萌ッ!!」

がらんと音を立ててボードが地へ落ちる。落ちた衝撃が大きかったのか、萌は起き上がらない。

ざわめく観客席。涼香や七瀬も、思ってもいなかった結果に目を見開いて呆然としている。

「萌ー!!」

翔平は動かない萌に居ても立ってもいられず、柵を乗り越えようと身を乗り出した。ぎょっとした優奈は慌てて翔平を引き止める。

「何やってるの翔平さん!」

「離せよ、萌が!!」

「駄目よ、関係者以外コースへの立ち入りは禁止でしょ!?」

「そんたの関係ねぁよ、萌! 萌、大丈夫が! 離せって優奈!!」

「駄目って言ってんでしょ!? ちょっと、落ち着きなさいよ!!」

「これが落ぢ着いでられるがよ! たった一人の妹が高えどっがら落ぢだんだぞ!? いいから、離せって、言ってんだ!!」

「きゃあっ!!」

翔平が優奈を振り解こうと思い切り振った腕が優奈に当たってしまった。

急に緩んだ拘束、思わぬ悲鳴に振り返った翔平は、顔を押さえて蹲る優奈に目を見開いた。

「うわ、悪い、どっか当たっちまったかも、」

震える優奈とコースで倒れたままの萌へおろおろと視線を行き来させる翔平に、勢い良く立ち上がった優奈が大きく手を振りかぶった。ばちん、と大きな音が響いて、アキは思わず「ひえっ」と身を竦ませる。

「頭冷えた?」

叩かれた頬をそのままに、ぽかんとする翔平。

もみ合いになったときに帽子が転がり、髪ゴムが解けてしまってぼさぼさになった髪を優雅にかき上げ、優奈は翔平の前に仁王立ちした。

「あそこで倒れてるのはあんたの妹よね。で、あんたは誰なの」

「誰って、」

「東京エンジェルスの平泉翔平でしょう。お忍びで来てるならなおさら騒ぎは起こせないわよね? あんたが妹可愛さに今飛び出してったら、あんただけじゃなくエンジェルスにも迷惑がかかる。あんたはオリンピックメンバーにも選ばれてるわよね? トラブル起こして脱落すれば、損失はいくらになるのかしらね」

「それは、」

「見なさい。萌には萌の仲間がいる。あんたが飛び出してったら萌にも、萌の仲間にも迷惑かけることになる。それでも、あんたは萌を助けに行くの?」

見れば、萌のところへ救急班が急いで担架を持って走り寄っていた。仲間に手を貸されながら上体を起こした萌は苦しそうに顔を歪めていたが、ちゃんと意識はあるようだ。翔平はほっと息をつく。

「……ごめん優奈ちゃん」

安心して柵に寄りかかりながらずるずると座り込んだ翔平に、優奈はふうとため息をついた。腕時計に目を落とし、翔平の曲がった帽子を被り直してやった。

「いいのよ、今度高めのボトル一本入れてくれれば。私より萌のこと気にしてあげて。転倒したってことは大幅減点、優勝は叶わない。五輪も、無理でしょうね。落ち込んでると思うから、フォローしてあげて。夢の舞台に立てなかった悔しさはわかるもの。……じゃ、私仕事があるから」

落ちた帽子を拾って、後腐れなく去っていく優奈。

「あ、あの、大丈夫ですか……?」

不安そうにアキが声をかけると、テレビで見るような笑顔で「大丈夫だ」と告げられた。その笑顔に何だか線引きをされたようで、アキはそれ以上何も言えなかった。

優奈の後ろ姿を見送りながら、翔平が何を思ったのかはわからない。

萌はこの後病院に運ばれたが命や体に別状はなく、五輪出場は儚く消えた。

「会場までわざわざ応援に来てくれたのに不甲斐ない結果で申し訳ない! 心配もかけちゃったし、お詫びってことでもないんだけど、私もアイドル部手伝うね! オリンピックで金メダルって夢は叶わなかったけど、アイドル甲子園で優勝できたらちょっとは今までの頑張りが報われる気がするじゃん?」

念のため一日だけ入院した萌は次の日、寮へ帰ってきた。心配して萌を囲むメンバーにあっけらかんと笑ってみせる。その笑顔を見た優奈はふんと鼻を鳴らして、何も言わず自身の部屋へ戻っていった。

「こんな時にも愛想ないよねー」

素っ気無い優奈の態度にぶつぶつと文句を言う汐音の横で、萌はじっと優奈の部屋の扉を見つめる。

「萌?」

「あっごめん。何でもない」

みんなの前では気丈に振舞っていた萌だが、その日の夜、汐音は二段ベッドの上段から悔しそうにすすり泣く声を聞いていた。

第18話 終わり