【小説】東京テルマエ学園 第2章 17話「草津温泉 第1回ライブ公演」 前編

「松永先生――」

アキに呼び止められて振り返った松永は、いかにも不機嫌そうに眉間に皺を寄せていた。

アキはへらっと笑って続ける。

「次のライブステージのことなんですけど」

「ああ……なんやっけ」

どこか投げやりに相槌をうち、松永はあからさまにため息をついた。

温水アキに泣き落とされ、なし崩し的にアイドル部の顧問を請け合うことになったのがついこの間のことである。

アイドル? そんなアーパーぷーのチャランポランなもの、誰が指導したるかい面倒くさい、こちとら今年入職したての一介の新任講師なんや、日々キャットファイトが繰り広げられる女子の部活に首突っ込めるわけないやろ――と、頑として断ろうと思っていた松永だったが、事はそう簡単にはいかなかった。

アイドル部の活動には学園長も殊更力を入れているようで、金銭的な支援は惜しまないのはもちろん、松永には顧問として部員たちを適切に指導するようにとのお達しが出てしまったのだ。

アキが率いるムーラン・ルージュがアイドル甲子園で優勝すれば学園の知名度が上がる、そういう思惑があるわけだ。

学園長からそう言われては、断れるはずもなかった。

大人の事情で渋々引き受けたはいいが、部員たちの指導と言っても実際松永に出来ることはあまりない。歌もダンスも専門外である。

気が向いた時に練習を覗きに行って、素人ながらも駄目だしをして帰ってくるくらいである。

そんなこみ入った松永の事情などつゆ知らず、アキはくもりなき眼を向ける。

「ダメ元でゆかり女史に掛け合ってみたんですけど、オッケーだそうです!」

「ゆかり先生の実家いうと、草津?」

「そうです。草津よいとこ一度はおいで~あドッコイショ――の草津です!」

「あの人、ああ見えて老舗旅館のお嬢なんですよ。松永先生も名前くらい聞いたことあるんじゃないですか。てのぢ屋って」

「もちろん存じ上げとります。お世話になったことがありますから」

群馬の草津温泉と言えば、全国のみならず世界にもその名が知られている。

観光客向けに行われる湯もみショーはあまりにも有名だし、草津のシンボルとも言える湯畑付近には足湯のほか、数多くの日帰り温泉や旅館が立ち並ぶ。何より、無料で入れる共同温泉が多く、温泉ファンにとっては天国と言っていい場所だろう。

街の東端にある小滝乃湯はかつて混浴があったらしいが、今では混浴は貸切り風呂のみとなっている。

ゆかり女史も子どもの頃にはよく小滝乃湯に足を運び、混浴場に入り浸っていたというのだから驚きである。

そこから彼女の混浴ライフが始まったと言っても過言ではないだろう。

松永はより一層不機嫌そうに顔を顰めた。

「しかしまあ老舗旅館でライブ……ホンマにええのんか? アイドル言うても、集客なんて見込めない、得たいの知れないおなごの集団」

「得たいのしれないなんてそんな。ムーラン・ルージュですよ、先生。いい加減覚えてくださいよお」

「大体『赤い風車』て、温泉と何の関係もないやないの」

「赤い……風車?」

何それムーラン・ルージュとなんの関係が? ――アキは首を傾げる。

英語すら怪しいアキだ。チーム名の語源となったフランス語など論外。分かるはずもない。

説明するのも面倒くさくなり、松永は溜息をついた。

「とにかく、てのぢ屋ほど高名な旅館になれば、こんなよう分からんアイドルのライブよりも、有名シャンソン歌手のディナーショーでも開催した方がよっぽど草津温泉の為になると思いますけどね」

アキに付き添っていた七瀬は苦笑を浮かべる。

「どうかな。やってみないと分からないと思いますよ。案外、懐メロ路線でお客さんにウケるかもしれないし」

初ライブは大成功というわけにはいかなかった。

年配の客は途中で帰ってしまい、残ったのは少数の若者達だけ。八郎がSNSで宣伝をしてはいるものの、なかなか認知度は上がっていかない。

大きなイベントに出演するとか、人が集まるところでライブをするとか、何か策を講じなければならなかった。

それで言えば、草津温泉にライブ会場を設定することは悪くない。

だがその反面、ムーラン・ルージュが世間に受け入れられるかどうかはっきりしてしまうことも確かだろう。

選曲も変えた。ダンスも変えた。これが吉と出るか凶と出るかは誰にも分からない。

折角だからと半ば強引な流れでレッスンを見に行く羽目になった松永は、ひと昔前に流行った歌とダンスの振り付けを完璧に覚えたアキ達のパフォーマンスを見て目を細めた。

「どうですか、先生」

「よう分からへん」

「やっぱり松永先生も、前のダンスの方がいいと思いますよね~?」

上目遣いで近寄ってきたのは1年生の岡本千秋だ。

彼女は、事あるごとに汐音の指導が厳しすぎると何かと不平不満をぶちまけてきていた。

「山口ももかとか山本リン子とかおニャンニャンクラブとかやっぱり古いっていうか~千秋が生まれる前のじゃないですかー。だからSNSで話題にも上らないっていうか~? ぶっちゃけ、私のフォロワーさん達が求めてるのって~そういうのじゃないんですよね~」

岡本千秋は雑誌ViViの人気モデルである。

中学生の時からファッション雑誌の表紙を飾り、和歌山県の地元アイドルとして、すでに可愛さだけは神の領域に近いと全国的に噂されるほど顔はいい。そして、公式アカウントのフォロワーは一万人を超えている。

大体の男達は千秋がちょっとかわいく首を傾げればデレデレとするし、上目で見つめれば何でも言うことを聞いてくれる。その要領で頬を膨らませてぶりっ子して見せるが、松永の前ではそれも意味を成さなかった。媚びるような岡本千秋を鼻で笑う。

「滑稽やね」

部員たちはぎょっとした。その場の空気がピリッと緊迫する。

「あんさんは何でこんなところにおるんやろねえ? 本気で分からへんわ。モデルだけじゃ物足らへんとなると――ああ、せや。いい事務所紹介したろうか? よう売れんプロダクションやけど、あんさんみたいなのが一人居れば多少は売れるんとちゃうやろうか」

お前如き売れない事務所で活動するのがお似合いだと暗に言われているようで、千秋はむっとして黙り込んだ。

松永は更に神経を逆なでするように続ける。

「歌とダンスが客にウケないから、反応に踊らされて路線変更……結構なことや。ほんならこのままどこぞの芸能プロダクションにでも売り込んで、アイドルとしてデビューさせてもろたらよろしい。現役専門学生のアイドルいうたら、話題性もあるやろ。マスコミがこぞって取材してくれるんとちゃうんか?」

「え? そういう話だったっけ?」

空気の読めない汐音とアキが顔を合わせる。

「違うってばー。お決まりの松永くんの嫌味でしょー?」

こそこそと言い合う二人を一瞥してから、松永は続けた。

「何のためのアイドルなんや? 正直、ただ歌って踊るだけなら幼稚園児にもできるし、懐メロで素人がアイドルごっこするくらいやったら、本家本元呼んだ方がよっぽど盛り上がるわ。――あんさんら、何のために高い金払うて学校に来てるんや?」

「温泉にちて……学ぶためじゃ」

圭が生真面目に答えると、松永はふんっと鼻を鳴らした。

「それで行き着くのが歌とダンスを売りにしたアイドル? そしたら、こんなところさっさとやめてダンススクールなり養成所にでも通ったらどうやの?」

「それは……」

不満げにしていた1年生だけではなく、2年生メンバーも黙り込む。

「懐メロアイドルで人気が出て人が集まったかて、結局一時的なものになるんとちゃうんやろか? これまでと何にも変わらないどころか――芯の一本も通せない似非アイドルが、お気に入りの温泉地を滅茶苦茶にした言うて怒り出す人が出てきてまうとは思わへんの? 今のあんさんらの活動は古き良き伝統をぶち壊すのとどこが違うんや?」

温泉地にはそれぞれのカラーがある。それぞれ売りにしているものが違う。

自然豊かで静謐な空間で来る人を癒すところもあれば、花街のように賑やかに歓待するところもある。

それぞれ独特な色を持ち、人を集める。

アキと七瀬は戸惑いつつ顔を見合わせた。

松永の言葉が渋温泉の状況と重なる。

リゾート開発で壊されようとしている温泉郷。リゾート街になれば街の景観が変わる。

懐かしさを帯びたあの街が外から来たものに滅茶苦茶にされ、全く別のものになってしまう。

それを何とかしたくて、アイドルになろうと決心した。

アイドルで温泉地を復興すれば人は増える。だが、その客層は恐らく変わる。それは年齢如何に関係ない。

――求めるものが違うから。

温泉ではなく、アイドル目当てに来る人が少なからずいるはずだ。

そういう人達は、果たしてリピーターになってくれるのだろうか?

活動の場を限定しているのならばいざ知らず。出身地がバラバラのアキ達は本拠地というものがない。地元に根付いて活動する地方アイドルとは違い、ライブをした温泉地に必ずいるというわけでもない。

アキは背筋がひやりとした。

「温泉地に来るお客はんのほとんどは、温泉を楽しむために来てるんやさかい別にあんた達何をやろうが関係あらへん思うけどなぁ。ほんまにお客はん集めて流行らせたい思うなら、むしろ狙いどころは若い世代ちゃうん?」

「それは……」

今の時代、情報社会だ。ネットで一言つぶやいただけで爆発的に情報が拡散されていく。

ひと昔前の歌謡ショーで流れるような歌、若い人達が喜んで聞くかと言われれば答えに窮する。

松永はいつもこうやって、アキ達にケチをつけてくる。

だが、そうやって一個一個のケチに答えていくと、自分達の道を見失わずに済むのだと七瀬は知っていた。

咄嗟の問いに口ごもるアキに代わって、七瀬が返す。

「確かに先生の言うことも一理あります」

「七瀬……」

「温泉の学校なのに売りは素人の歌とダンスなんて確かにおかしいですよね。それで注目されてお客さんが増えても、本当に温泉を愛してくれる人達が来てくれなきゃ意味がない。でもその前に、人が集まらなくちゃ消えてしまうのも事実なんです」

そうだ、と渡が頷いた。

「こいつらに今出来ることって、少しでも目立ってファンを獲得して、温泉地に足を運んでもらうことくらいなんです。アイドルの活動はそのための手段に過ぎない。ライブに足を運んでくれる、温泉に入ってくれる。まずはそこから」

「そしていつかライブがなくても街に足を運んでくれて、街を愛してくれるようになる……それが理想なんです」

「七瀬ぇ……渡も――」

アキは涙ぐんだ。

喉からつかえて出てこなかった言葉を、七瀬と渡が代弁してくれたのだ。

七瀬はぎょっとしてアキの泣き顔を覗き込んだ。

「やだ、何で泣くのよ」

「だってー」

七瀬は頭の上に疑問符を浮かべつつ、アキの頭をよしよしと撫でた。

松永はつまらなそうに七瀬を見つめ返す。

「あんさんの答えは、いつも優等生やなあ。たまには隣のおまけにも、答えさせてみようとは思わへんの?」

「すみません、アキは考えを纏めるのに時間がかかるので。……何か泣いてるし」

「あっ。おまけって、ちょっといい響きだよね。何か嬉しいかもー!」

「……こういう子なので」

松永は深いため息をついた。

「まあええわ。使えるもんは、何でも使うてみたらよろしいわ。歌なりダンスなり伝手なりコネなり。他に特技があるんやったら、それで人を集めてもよし。アイドルやからって、何も絶対歌とダンスのパフォーマンスせなあかんいうことないんやろう? 特に、歌とダンスなんてどのアイドルかてやっとることや。そこに目新しさなんてあるんか? あんさんら、特にとびぬけて歌やダンスが上手いわけやないやろ? そら一部は目を瞠る才能持ってるかもしれへんけど、全体でみたら普通や。可愛いだけのアイドルなんてごまんとおるご時世で、あんさんらの売りはなんやの?」

「あ、温泉です」

そこは自信をもって答えたアキに松永は当然だと言わんばかりに頷いた。

「温泉を売りにするんやったら、他にも考えや言うことや」

「はい……」

「ま、そういうこった。のうち知名度が上がってきたら、垢すり全身マッサージとか、松永先生直伝のお茶会とか、お琴の演奏とかライブ会場でやってみたらいいんじゃねェの?」

穂波がからっと笑う。

「折角の機会だ。温泉専門学校らしいとこもちったァ見せとかねェとな」

つづく