【小説】東京テルマエ学園 第1章11話 「新宿サンバカーニバル編」中編

東京から新幹線と電車を乗り継いで約4時間――アキの実家である渋温泉までの移動時間である。

日帰りの小旅行だと思えば丁度いい時間と距離なのだが、講義とバイトに追われ、更に万年金欠気味なアキにとっては、交通費だけで手痛い出費なのでそう頻繁に帰省することはできない。

今回夏休みでようやくゆっくりと帰省でき、お盆にはおばあちゃんの作ったおやきを食べ、温泉に浸かって、高校時代の友達と会って、志賀高原でバーベキューをして――と有意義な時間を過ごせたおかげで、あっという間に東京に戻る日となってしまった。

アキは見送りにきた七瀬を振り返った。

「七瀬は、まだこっちで過ごすんだよね?」

「そのつもり。東京戻っても暑いし、食費で無駄にお金かかるし」

「確かに……」

夏休み中、学生食堂も休みになっている。食事は自分で調達するしかない。

「まあ、あんたはバイトがあるんだし、竜馬さんにまかない飯でも作ってもらって生活したら?」

竜馬さんとは、アキがバイトを決めたきっかけになった、バイト先の気のいいお兄さんのことである。風俗系の仕事を斡旋するワニラの『高収入』という文句につられてそこでバイトをしようとしたアキと止めてくれた恩人でもある。

帰省の間バイトは休ませてもらったが、ずっと休みというわけにもいかない。アキは夏休み後半、休んだ分を挽回すべく毎日シフトに入るようにしていた。

七瀬の言葉にアキは瞳を輝かせ、ぽんと手を叩いた。

「そっか、その手があったか!」

「だからって、三食まかないは止めなさいよね」

「ダメ……?」

「そりゃあそうよ。たかってばっかりいると、嫌われるんじゃない?」

「そんなぁ……」

帰省中、遊び過ぎてお金がない。これは三食卵とモヤシ炒めで過ごすしかないだろう。

項垂れるアキに七瀬は苦笑した。

「私も、なるべく早く戻ろうと思ってるから。そしたらアキに美味しいご飯作ってあげる」

「え、何で? ギリギリまでこっちに残るんじゃないの?」

アキが呑気に訊ねると、七瀬はため息をついた。

「いい加減、学祭の出し物考えないといけないでしょ」

「あーそんなこと忘れてた!」

派手なパフォーマンスで5000人を集める――無謀なミッションが残っていたのだ。

「早く決めちゃわないと、練習も宣伝も、何にもできないじゃない」

「そうだね……」

筆記が苦手なアキにとって、学祭は漏らさず単位を取得できるチャンスでもある。

早く卒業できればおばあちゃんに負担をかけずに済むし、アキも試験やレポートでストレスを感じずに済むのだ。ここで失敗したくない。

意気込んで東京に帰ったアキだったが、翌日からバイト三昧だった。

久しぶりにバイト先に顔を出すと、懐かしい顔ぶれがアキを迎える。

「お、お帰りアキちゃん」

「相変わらずいい乳してんな、アキちゃん」

「あはは。マスターも鍛えたら、いいおっぱいに育つと思いますよ」

マスターのセクハラチックな言動を受け流す術を、アキは最近になってようやく覚えた。

それはそうと、アキは二人に向かって頭を下げる。

「長いことお休みいただいてありがとうございました。今日からまた頑張りますね! あ、これお土産です。小布施の栗かのこ」

「お、珍しく気が利くねぇ。誰かの入れ知恵か?」

「そんなんじゃありませんよ! おばあちゃんが、いつもお世話になってる人達なんだからって――」

やっぱり入れ知恵じゃないか、マスターと竜馬は苦笑した。

「長野はどうだった?」

「山ばっかりでした」

どこかズレた返事だったが、竜馬は気にしない。

「それじゃあ、目に優しくていいね」

長野は山々に囲まれている。東京から帰ると、改めて山ばかりだなと思うのだ。竜馬の言う通り、緑が目に優しい。夜には大都会の喧騒はなく、蛙や虫の鳴き声が聞こえる。

自然豊かと言えば聞こえはいいが、ド田舎である。

「学校はいつからだっけ?」

「9月2日からです」

厨房で話しながら、運ばれてくる食器を洗う。

「夏休みなんてあっという間でしょ」

「そうなんですよね……長いようでいて、短くて」

9月に控えた学祭のことを思い出し、途端に憂鬱になる。そう簡単にいいアイデアなど沸いてこないし、考えねばならないことが山積している。普段能天気なアキなのだが、卒業に必要なポイントが絡むだけあって、深刻になっているのだ。

珍しくため息をつくアキを竜馬は不審そうに眺めた。

客入りが増えるランチタイムに突入し、店内は途端に慌ただしくなった。アキもホールに駆り出され、竜馬との会話はそこで一旦途切れる。

竜馬の見ていないところで、必ず一枚は皿を割るアキなのだが、今日は珍しく一枚も割らなかった。竜馬はそれが逆に心配になった。

「もしかしてアキちゃん。どこか調子、悪い?」

「へ?」

皿クラッシャーが大人しい。皿が割れるのは由々しき事態であるが、何事もなく静かなのは更に不気味だ。

このままでは、皿が割れる以上の事態が起こるのではないか……マスターと竜馬はどちらともなくアイコンタクトをした。お前がなんとかしろ、分かりました――そんな無言のやり取りが瞬時に交わされる。

竜馬は更に続けた。

「悩みがあるなら相談乗るよ?」

「悩み……?」

うーんと唸って考え抜いた末、アキはあっと声をあげた。

「派手なパフォーマンスって、何だと思いますか?」

「突然どうしたの、アキちゃん」

「学祭で出し物をやらないといけないんですけど、派手なパフォーマンスで会場を盛り上げるっていうのが今回の課題なんです……目標来場者数は一クラスにつき5000人。5000人が集まるようなパフォーマンスって、何でしょう?」

「また無理難題を吹っ掛けられたねえ」

竜馬は苦笑する。

学園の変わった講義や実習についてアキから色々と聞かされている。今回は一段と厳しい条件のようだ。

「都内の有名大学と怪しげな温泉専門学校を比較されても、こっちだって困りますよ!」

「今年設立したばかりだし、知名度も高くないもんね。俺もアキちゃんから話聞かなきゃ、怪しげな学校だなくらいの認識で終わってたよ」

話を聞いても余計怪しさに拍車がかかっただけだが、それは言わなかった。

「それで、困ってるんです……。ノルマ達成できないと単位ももらえないし」

「なるほどね」

「全然アイデアが思い浮かばなくて……。練習する時間もあんまりないし、宣伝する時間もなくて……」

竜馬は少し考えてから、にこりと笑った。

「そしたらさ、アキちゃん。今度の土曜日、ちょっと俺に付き合わない?」

「土曜……31日ですか?」

「そう。面白いもの見せてあげるよ。11時に浅草駅で待ち合わせね」

アキはよく分からないまま頷いた。

約束の日。

浅草駅は異常なほど人で溢れかえっていたが、竜馬の姿はすぐに見つけられた。

竜馬の方もアキに気が付くと、大きく手を振る。アキが小走りに駆け寄ると竜馬はからっと笑った。

「迷わず来れてよかったよ。七瀬ちゃんと一緒じゃないと、もしかして迷子になるんじゃないかって心配してたんだ」

「うっ……全くその通りです」

長野から戻ってきた七瀬に、途中まで一緒に来てもらったのだ。

七瀬も一緒にどうかと思ったのだが、「デートの邪魔するほど空気読めないわけじゃないから。じゃ、頑張って」っと、すぐそこで分かれてしまった。

「あの、今日は何かイベントでもあるんですか?」

「まあ、ついてくれば分かるよ」

詳しい説明もないまま、竜馬は歩き出した。

それにしても、気を付けて歩かねば人の足を踏んでしまいそうなほど、辺りは混雑している。一瞬でも気を抜けば前を歩く竜馬ともはぐれてしまいそうだった。

「うっぷ……」

見知らぬ人達とすれ違うたびに、きつい香水の匂いや食べ物の匂いが混ざり合って気持ち悪くなる。

ぶつからないように気を付けて歩いても、身体のどこかしらぶつかってしまい、そうしているうちに気がつけば竜馬と大分距離が開いてしまっていた。

(ど、どうしよう……こんなところではぐれたら迷子になっちゃうよー!)

じわりと涙が溢れ、目の前が滲んだ。アキは前方へ手を伸ばした。

「竜馬さん、待って――」

「アキちゃん、俺こっち」

遥か前を歩いていたはずの竜馬の声が、アキのすぐ隣から聞こえて、思わず飛び上がった。

「な、何でー!? もしや、瞬間移動……?」

「違うよ。はぐれたらまずいからここで待ってたの。アキちゃんとはぐれると迷子になっちゃいそうだから」

「はい……その通りでございます」

「あはは。やっぱりね。これだけ人が多ければ似たような背格好の人もいるだろうし、アキちゃんなら間違えて俺じゃない誰かにホイホイついてっちゃいそうだから」

「名探偵ですね、竜馬さん」

アキは途中から他人の空似を追いかけていたのである。そのまま竜馬だと思い込んで追いかけていれば、一体どうなっていたことやら。

「これだけ人が多いと、並んで歩くのも大変だから俺の服の裾でも掴んで歩く?」

「あ……はい」

アキはどぎまぎしながら、竜馬のシャツの裾をちょこっとだけ摘まんだ。

「それじゃあ、行こうか」

人の流れていく方に歩いていくと、背中に大きな羽飾りのついた派手な衣装を着た褐色肌の綺麗なお姉さんや、白いスーツに青いネクタイをしたイケメン集団とすれ違う。

そのほかにも、狐を模した尻尾や耳をつけ、白金色のハイレグに煌びやかなスパンコールのついた衣装を着たお姉さんや、お姫様のようなドレスの中に大きなパニエを履いて裾を広げたお姉さん、狸の格好をした人、提灯お化けの格好をした人、などなど、何だかよく分からない集団ともすれ違う。

「仮装大会ですか?」

「うーん、当たっているような、いないような?」

「いい加減、教えて下さい――」

言いかけたところで、大音量でラテンリズムの陽気な音楽が流れ始める。

その曲に合わせて、先ほどすれ違ったお姉さん達が腰を振って踊り出したのだ。

それは見ているこちらが自然と踊りだしたくなるような陽気なダンスで、現に竜馬はアキの隣で音楽に乗って小さく身体を動かしていた。

「さ、サンバ!?」

思わずアキが叫ぶ。

「そうだよ。浅草サンバカーニバル。毎年八月下旬に開催されるんだ」

「知らなかった……」

「そっか、長野では放送されないのかな。結構、ラジオとかテレビで放送されるんだけどね」

話していると音響機材と巨大なスピーカーを乗せたトラックが通過する。大音量のわけはそれだったのだ。

更に、よく分からない仮装集団も道路で踊り始めた。アキの知るサンバとはかけ離れた格好の人々は、音楽に合わせて楽しそうに腰を振っている。見物しているアキも、思わず身体がうずうずした。

「サンバって、何でもありなんだ……」

「そうだね、絶対これをしなきゃいけないってことはないかな。衣装だけ用意して即興の踊りで出場するところもあるし。でも、すごいのはこれからだよ」

竜馬が囁いた。

「この後、企業チーム、S1・S2リーグのチームが出てくるからね。特に企業のテーマサンバリーグとか、S1の衣装とかアレゴリア(山車)は見物だよ」

サンバとは、ただの仮装行進ではないらしい。これから出てくるチームはそれぞれが決めたテーマにそって曲や衣装、山車を作り行進する。

サンバと言えば大きな羽のイメージしかなかったが、そうではないのだ。

もちろんそういった派手な衣装の踊り子もいるが、それだけではない。女性ダンサーもいれば、男性ダンサーもいる。衣装も様々な形があって楽しい。

初めて見るサンバカーニバルにアキは興奮し、感動した。

(もしかして、これなら皆も出来るんじゃないかな!)

サンバでは難しい動きはない。

ノリのよい陽気な音楽があれば、何とかなる。

アキは、改めて皆に提案してみようと考えた。

寮に戻るなり、アキは皆にサンバのことを提案した。

「サンバねぇ……」

「ま、いいんじゃねェか。学祭まで時間もないし。ゆかり女史の、派手なパフォーマンスしろって指令にもぴったりじゃねぇかい」

「そーだね。適当に踊っておけば何とかなりそうだもんね」

とりあえず、優奈、穂波、萌、汐音は賛成だと頷いた。

圭と涼香も、C組の皆が納得するならばと肯定的だ。

七瀬はもちろんアキの味方。

翌日、圭の提案でC組全員の意見を聞くことになった。

ところが――。

「サンバ自体は別にいいと思うけど、やるからには完璧にやろ。これからは毎日講義の後集まって練習しよーよ。そうじゃなきゃ、やる意味ないし」

「汐音、どーしたの。そんな熱血キャラじゃないでしょ」

萌が引き気味に言うと、汐音は不満そうに鼻を鳴らす。

「5000人の前に立つからには、中途半端な姿なんて晒せないじゃん。うちらもテーマ決めて、山車作って、お客さんに楽しんでもらえるように派手に魅せようよ! パクリ疑惑のA組とB組になんて負けてられないでしょ!」

「そこまでする時間はねぇんじゃねぇかい?」

「そうよ! このおたんこなす! 即興の踊りでもなんとかなりそうだからサンバがいいんじゃない!」

「衣装だって別に、そんな本格的じゃなくてもいいよね。何とか形になってれば」

批判の声が上がり、汐音はむくれる。

「はぁ? そんな適当なサンバで、お客さん集まるわけないじゃん。別に難しいこと言ってないんだけど? テーマ決めれば衣装も作りやすいし、パート分けして踊り覚えた方が楽なんだよ? 大体皆、即興で踊れなんて言われても無理でしょ。5000人の前で即興の踊り披露する自信あるの?」

「それは……まあ」

汐音の言うことも一理ある。これまでダンスなどやったことのない者ばかりだし、即興で踊れと言われても困る。クラブ通いでもしていれば別だろうが、田舎にそんなしゃれたものはなかった。アキが踊れるレパートリーと言えば、精々盆踊りか、小学生の時に踊ったマイムマイムが関の山だ。最早園児のお遊戯会レベルのダンス力である。

あのラテンのリズムに合わせる踊りとなると、やはり腰を振りお尻を振るようなダンスになるだろう。何の練習もなしに挑むにはあまりにも恥ずかしかった。

汐音の訴えにアキが納得したその時、優奈が激しく机を叩いた。

「あんたね、空気読めないのも大概にしてよ!」

大声をあげて立ち上がる優奈に一瞬びくついたC組の面々だったが、次の瞬間にはすっかり優奈に同調していた。

「そうだよ、周りのことも考えて欲しい。講義後練習っていっても、アルバイトがある子もいるし、クラブ活動やってる子もいるんだから」

「時間ないし、完璧なんてまず無理だよ。第一、素人の踊りに5000人も来てくれるわけないじゃん」

方々から厳しい意見が上がる。

「5000人集めらんなきゃポイントもつかない。結局努力も無意味になる。最初から無謀だって分かってるのに、そこに無駄な労力割くなんて馬鹿でしょ」

その一言に、汐音はそのまま歯を食いしばって俯いた。

「そんなこと――」

やってみないと分からないよ――とアキが言いかけた時、汐音は教室から飛び出してしまった。

「し、汐音ちゃん!?」

アキは隣の七瀬と顔を見合わせ、汐音を追いかけた。

向坂汐音には物心ついた時から何人もの取り巻きが沢山いて、いつでも物事の中心にいるのが当たり前のことだった。

小学生の時はクラスの中で常に一番目立つ集団の中心にいたし、中学の時も、所謂スクールカーストのトップに君臨する女王だったのだ。

何をする時でも周りは大体汐音の希望を通してくれたし、汐音の一声で物事は簡単に覆った。

そんな汐音が小学4年生の時にハマったのが、チアリーディングである。

元来より運動神経抜群で、派手なことが好きな汐音が、チアリーディングにはまらないわけがなかった。

人気者の汐音がチアを始めると、取り巻き達も汐音に続くようにチアのチームに入った。

女王様に付き従わない下僕は見捨てられるのが世の常なのだ。

しかし、現実は厳しい。

やはり生まれ持っての素養というものがあるもので、汐音はどんどん上達していく一方で、どうにか無理をしてでも汐音にしがみ付いてきた取り巻き達は、次第についていけなくなったのだ。

そうなると、チームの中で実力に大きな差が出始める。

所詮小学生のクラブ活動なのだが、汐音は何をする時でも一番を目指したがり、妥協を許さない子どもだった。言い換えれば、大変な負けず嫌いである。

よって、一番になるため努力するのは当然のこと、周囲も自分に合わせて努力をするべきだと考えていた。

そんな汐音の期待に応えるべく下僕――いや、取り巻き達は努力を重ねたのだが、汐音についていけるのはほんの一握りの者だけだった。次々と脱落していく取り巻き達を、汐音は無情に責めた。

『本気でやれば出来るはずだよ。出来ないのは、ちゃんと練習しないからだよ』

才能ある者からの言葉に多くの取り巻き達は心をへし折られ、最後には汐音と対等の実力を持つものだけが残った。

その選ばれし一部の者と小学生最後の大会を優勝した汐音は、中学でも同じメンバーとリアリーディングを続けていくことを決意する。

しかし、取り巻き達は限界を迎えつつあったのである。

小学生のクラスメートでチアリーディング部に入ったのは、誰もいなかった。

それぞれが別のクラスになったため、理由を聞きに教室まで行くと、汐音にとっては思いもよらぬ言葉が返ってくる。

『もうこれ以上汐音ちゃんについていくのは無理』

『汐音ちゃんに逆らうと仲間外れにされるから一緒にやってただけだから。全国目指すんだって? まあ、精々頑張って』

各々のクラスでは、既に新しいスクールカーストが形成されていた。そこに汐音の存在はなく、新たな序列の中で皆生きているのだと汐音は悟ったのである。

小学生からの長年の友人に見放され孤立したとなれば、相当ショックなはずだ――しかしそこは汐音、めげなかった。

チアリーディング部に入るなり同級生との距離を一気に縮め、先輩にも可愛がられるような身の振り方をしたのである。片付けや準備を率先して行い、真面目に練習して努力を重ねた。元々小学生からやっていただけあって実力もある。同級生の中で汐音の右に出る者はおらず、一目置かれる存在となるまで、そう時間はかからなかった。

そうなると、部活での地位が高いものになるのは当然のことだ。

チアリーディングは学校でも花形。汐音が中学でも注目され、再び女王として学校に君臨したのである。

結局、人が離れていってもすぐに新しい取り巻きがやってくる。

代わりはいくらでもいるのだ。

一番になる為には、弱い者はいらないのだ。

そうやってチアを続けた結果、汐音にはチアリーディングの強豪校からスカウトが来た。

断る理由などあるはずもなく、汐音は喜んで入学を決めた。

実力がありながら、割と素直に目上の者の言うことを聞く汐音は可愛がられた。コーチや先輩から気に入られ、2年生になるころには、汐音が次のキャプテンになるのは確実となっていた。

目標は全国制覇。

汐音が1年生の時には全国2位という悔しい結果に終わっただけに、今年こそはとコーチも部員たちも意気込んでいた。

3年生が引退し、練習のルーティンを考えるのは汐音とコーチに任された。

『今までのやり方じゃダメだと思う。もっと基礎からしっかり練習しないと上を目指せないし、高難度の技を決めるには今のままじゃ絶対怪我する』

『チーム皆が、同じくらいのレベルにならないと。わたしだけ高く飛んでも意味がない!』

汐音がキャプテンになってから、練習量は倍増し、コーチの指導も厳しくなった。それだけ本気だったのだが、中には汐音のやり方に愚痴をこぼす部員も現れ、次第に皆がそれに同調していった。

『そこ! 一拍遅れてる!』

部活中、厳しい叱責が飛ぶ。

全国を目指すには必要なことだと理解していても、汐音のやり方は受け入れがたいものだった。出来るまで何度もやらせる、それでもできなければ、容赦なくチームから外された。

汐音は親友にも忖度しなかった。できない者は外す、同じレベルの者をチームに入れる。あまりに単純明快だったが、その残酷ともいえるやり方に、次第に部活以外でのチームの雰囲気は冷めたものになっていった。

それは特に汐音がいるところで顕著だった。

汐音が部室に入る前は和気あいあいとした笑い声が聞こえていたのに、汐音が入った途端静まり返るのだ。しかし無視をされているわけではなく、話しかければ返事があるし、冗談を言えば笑いもする。部活になれば普通に話すし、意見も交わす。それはあまりに奇妙であったが、気に病むには、汐音の神経が太過ぎた。

全国制覇という目標があり、コーチや先輩のエールがあってこそ、彼女たちの関係は成り立っていたと言っていい。

そうでなければ、チームは完全にバラバラになっていただろう。

そんな努力の甲斐あって汐音が所属していた『スターウォーズ』は見事全国制覇を果たし、世界大会まで出場した。

優勝は嬉しかったし、結果には満足している。

だが、一緒に頂点を目指し、切磋琢磨したチームメイトとはあれ以来連絡を取っていない。

『もう汐音とチアはやらない。自分が出来るからって、皆が同じように出来ると思わないでよ……。あんたと一緒にやってると、苦しいだけだった』

『やっと解放されるわ。じゃあね、汐音』

チーム一丸となる競技なのに、最後まで心は遠いままだった……。

(あーあ……結局、また誰もついてこられないんだ)

教室を飛び出し、誰もいない体育館で汐音は座り込んでいた。

むんとした熱気が籠り、蒸し暑い。クーラーのスイッチを入れたが、館内に効くのは時間がかかるだろう。

(そんなにおかしなこと言った? 人前に立つのに、中途半端な姿を見せるなんて一番恥ずかしいじゃん……。やるって言ってくれれば、いくらでも練習付き合うのに)

ため息をつき、立ち上がる。

せめて同室の萌でも来てくれるのではないかと思ったが、そもそも彼女は汐音と同じくマイペースだし自由人だ。来るわけがない。

何となく、寮のルームメイト達は汐音のレベルについてこられるのではないかと思っていたのだが、気のせいだったようだ。

「ま、いいや。練習しよっと」

クーラーが効きはじめたところでアイポッドを取り出し、サンバに使われている曲をいくつか選んで流すと、頭の中で大体の振り付けを考える。

皆が即興の踊りでいいというのなら、もう汐音に言えることはない。

個人個人、適当に考えてやるしかないだろう。

一曲目の踊りが終わったところで、体育館の扉が開いた。

入ってきたのはアキだ。

「何。どうしたのアキ。こんなとこ来ても、何にもあげないよ?」

アキは汗の滲む汐音を見て言った。

「わたしも一緒に練習してもいいかな!」

「……別に、気ィつかわんくてもいいんだよ?」

「そんなんじゃないよ。沢山の人に見てもらうのに、適当に踊るなんてやっぱりできないと思うんだ。汐音ちゃんの言う通り、人前で見せるからには、ちゃんとしたいから」

「アキ……」

「それに、適当に踊ってとか言われてもできないし。皆みたいに運動神経良くないから、お客さんの前に出れば緊張して動けないと思うんだ。だから汐音ちゃんに教えてもらいながら練習したい」

「ふーん……。やるからには、妥協とか一切許さないよ? わたしと同じレベルになるまで練習させるよ? そういう覚悟はある?」

意地悪く返すと、アキは「うっ」と言葉に詰まった後で意気込んで頷いた。

「あります! 教えて下さい!」

「よーし、そこまで言うならしゃーない! 教えてあげるってば」

汐音はにっこり笑った。

これまで何度、『汐音のやり方についていけない』と離反されたことだろう。

頂点を目指すためにはたゆまぬ努力をしなければならないのに、誰もが厳しい練習を嫌がり、逃げて行った。

アキはどうだろうか。

今はやる気に満ちていても、これから汐音が厳しく教えれば、音を上げて逃げていくだろうか。

アキも大多数の者と同じ弱い人間ならば、きっと脱落するだろう。

学祭の本番まで時間がない中、C組内の雰囲気はとても良いものとは言えなかった。

出し物はもうサンバで決定だったのだが、練習するかしないかで依然意見が割れていたのだ。というのも、適当に踊ればいいと言っても何の踊りの型もないサンバを普段から踊りに親しんでいないもの達が即興で披露するのは無謀なことで、汐音が当初提案したテーマ・パート決めを支持する意見がじわじわと増えていたのだった。

『アキ、抜け駆けはズルいよ! あたしも汐音に教えてもらう!』

数日前に萌がそう言い出し、気がつけば汐音のダンス講座には優奈以外のルームメイトと、クラスの3分の1が参加していた。適当に踊れと言われても、やはり出来ないと考える子が多数いたのだ。

一方、学費や生活費をすべて自分で払っている優奈はバイトで忙しく、練習に参加するどころではないらしい。

何しろノルマは5000人だ。それだけ集まるかどうかはともかく、当日はフリーマーケットも開催されるため人が集まるのは確かだ。お客さんを楽しませるためにも、本番、緊張のあまり棒立ちなんて事態は誰もが避けたかった。

練習に向かう途中、掲示板にA組とB組が作成したらしきポスターが掲示されていた。同じものを新宿駅でも見かけたので、あちらの宣伝活動はばっちりなのだろう。

七瀬は途端に不安になり、呟いた。

「ところで、宣伝活動とか広報はどうなってるんだっけ?」

「裏方仕事はワイにお任せやでぇ、とか八郎が言うから全部任せちゃった」

答えたのは汐音だ。

そこで、噂の八郎とすれ違った。七瀬を見るやデレデレと近寄ってくる八郎だが、今日は随分と大人しい。その代わり、スマホをいじりながらニヤニヤとしている。

「ホントにあいつで大丈夫なの?」

萌が不審げに囁くと、七瀬が淡々と答えた。

「あいつに任せて上手くいったためしはない」

「言えてらぁ」

「衣装も音響機材も用意してくれるって言うし、いいんじゃないの?」

呑気なことを言う汐音に七瀬と穂波は顔をしかめた。

「それがどうも信用ならないじゃない」

「そうそう。どうも臭ぇんだよなァ。ロクなことにならなきゃいいけど」

ちなみに、サンバのテーマを『温泉』にしてあるので、衣装もそれに準じた形となるはずだった。例えば温泉マークや温泉まんじゅう、温泉たまごをモチーフにしたもの。あとは、銭湯の壁によく描かれている富士山や牛乳など、温泉と言えば連想できるものをありったけ用意している。もちろんそれだけではなく、サンバらしく背中に大きな羽のついたハイレグの派手な衣装に、へそ丸出しの煌びやかな衣装もある。女子だけでなく男子も踊るが、男子の方は法被を着ることになっている。露出度の大きさが違い、大変不公平である。

女子としては、何としても事前に衣装チェックをしたかった。本番よく分からないまま着せられて、予期せぬアクシデントが起こらないとも限らない。何しろ、衣装準備をするのはあの八郎なのだし信用ならない。

そんなわけで、講義後女子達が一丸となって、スマホをいじっている八郎の元へ詰め寄った。練習しない派もこの時ばかりは協力的だった。同じ衣装を着る羽目になるのだから当然である。

皆に押され、圭が声をかける。

「お、大塩くん、ちょっとよかね?」

画面を見てニヤニヤとしていた八郎ははっと顔を上げた。

「何や、皆してそんな怖い顔しよってからに……」

練習に参加していない筆頭、優奈が詰め寄る。こういう時は強いのである。

「衣装はどうなってるのよ」

「あたし達、まだチェックできてないんだけど?」

「なんやビビった……そっちかい」

ぼそぼそと呟き、八郎は両手をこすり合わせた。

「衣装、ばっちりやで。明日には届くわ」

「じゃあ明日皆でフィッティングする? それで一回踊ってみる?」

「そうね。明日は土曜日だし、講義もないから皆集まりやすいでしょ。バイトまでの時間ちょっと付き合うくらいならいいわ。あんた達も、それでいいでしょ?」

優奈が言うと、他の練習不参加組も渋々ながら頷いた。

「ほんなら、ワイも立ち会うわ。サイズ合わんかったら急いで直して、発注かけなアカンしな」

デレデレと鼻の下を伸ばして八郎が言うと、女子の目が一気に険しくなった。

だが、八郎は実質スポンサーのようなものである。ここで女子が拒否すれば、もう金は出さないと言い出さないとも限らない。

その八郎が言うのだから、女子も強く反対はできなかった。

つづく