【小説】東京テルマエ学園 第1章10話 「カジノ実習体験編」

土曜日の朝9時少し前。その東京テルマエ学園があるビルの隣、和田急建設ビルのエントランスにアキたちの姿があった。

「東京……てるまえ、かじの……すくーる」

アキが寝ぼけた声で言った。エレベーターホール壁に掲示されたテナント案内には、確かにそう書かれている。

「火事じゃないからね」

七瀬が念を押す。アキの天然っぷりは幼馴染が一番よく分かっているが、ルームメイト達もアキがいかに天然か分かりつつあった。本気で火事の学校だと思っていたことは、誰もが知るところである。何しろ、消火訓練や避難訓練について必死で調べていたのだから。

「分かってるよぉ!」

アキが抗議したが、七瀬はアキがオロナイン軟膏を隠し持っていることを知っていた。火事で火傷したらそんな物では間に合うはずもないのだが、そんなことを指摘するのもバカバカしすぎた。

萌が首を傾げながら誰ともなく聞いた。

「何で温泉専門学校の姉妹校がカジノスクールなんだろうね?」

東京テルマエ学園の姉妹校として、新しくカジノスクールが新設されると発表されたのはつい一週間前のことだ。

本場ラスベガスから講師を招き入れ、9月に募集が始まり、開校はこの10月から。プレテストとして、アキ達C組が強制的に体験入学させられることになったのだが、あまりにも急なことだったため大ブーイングの嵐だった。

体験入学のため単位もポイントもつかない、完全に慈善活動である。

大体厄介事はC組に押し付けられている気がすると思うのは、きっとアキだけではないだろう。

「どうせエロ学長の適当な思いつきでしょ。深く考えるだけ無駄よ」

エレベーターに乗り込みながら優奈が言った。

温泉地にカジノ――。

集客の面を考えればありなのかもしれないが、もしも渋温泉にカジノができればこれまでの景観がぶち壊されるのは簡単に想像できる。

地方にある温泉地の売りは、自然豊かで壮大なロケーションだ。昔懐かしいお土産屋の立ち並ぶ街並みを歩くのが楽しいのだし、お客さんの大半はそういうところに癒しを求めてやってくる――七瀬は少なくとも、そう考えていた。

カジノなどが入った複合施設を作るとなると、これまでのノスタルジックな雰囲気を好んで訪れてくれたお客さん達は、まずいい顔はしないだろう。そういった客層を置いてけぼりにしてまで、故郷の温泉地をリゾート地にしたいとは、七瀬は思わなかった。

学園側が、そんなことも分からないはずはない。

七瀬は表情を曇らせた。

「この間はキャバクラ体験、今度はカジノ……これって、本当に必要なこと?」

「うーん……。色々やって、お客さんが沢山来てくれるのはいいことなんじゃないの?」

アキの呑気な返しに、七瀬はため息をついた。

「それはそうだけど……。そういう施設を温泉地に作るってことは、元々あったお店とか施設を潰したりしないといけないわけでしょ。ほら、アキの旅館だって、リゾート開発のあれこれで色々嫌な思いしたじゃない」

「うん……そうだね」

アキの行きつけのラーメン屋は潰れ、風情ある河沿いの町並みは今なお変わろうとしている。実家の旅館だって、買収話が出ているのだ。

思い出して落ち込む。

「古き良き日本ん伝統文化を守り語り継ぐ後継者達ん育成をしよごたっ~ちゆ割には、確かに」

圭の言葉に皆一様に同調した。

「必要なのかよく分かんない、変な講義多いよねー。カジノスクールとか特にこれからの人生で役立つとも思えないし」

いつも適当に、上手いこと切り抜けている汐音が言うのだから間違いない。

「まあ、カジノ作れば普通に儲かるだろうし、潰れかけの、特にこれと言った特徴のないホテルとか旅館は助かるのかもしれないけどさー。そういうのに頼らないとやっていけないって大変だよねー。カジノ作ったからってお客さんが来るとも限らないしー、むしろ大赤字になっちゃったりしてぇ」

エレベーター内は水を打ったように静まり返った。

アキは床に視線を落とし、七瀬は天井を見上げる。

「え、何。どうしたの皆、急に黙っちゃって」

汐音という少女は、地雷原でタップダンスをしても平気なのだ。心底分からないという表情で首を傾げている。

そうこうしているうちに、エレベーターは6階で止まった。

「うわー!」

ドアが開いたその瞬間、全員が歓声を上げた。飾り気のないオフィスビルから一転。エレベーターを出ると天井まである噴水と眩しいほどの電飾が充満した空間だった。

そこは本格的なカジノだった。

ルーレット、ブラックジャック、ポーカー、スロット……一通りのゲームは揃っているようだ。

沈鬱な空気が吹っ飛ばされ、目の前の光景にただ圧倒される。

「すごっ。これだけそろえるとなると、相当お金かかるよね。どんだけ資金あるんだろ」

「さあね。家に金のなる木が生えてるとか、何とかの財宝掘り出したとか……あのエロ学長のことだから、どうせロクなものじゃないわよ」

優奈がアクビをしながら言った。

「それって……インカの秘宝?」

「日本だったら徳川家の埋蔵金でしょ?」

「それ、徳川城にあるの?」

「どこよ、徳川城って」

「ノー、違いマース」

意味不明な会話をしていると、ミッシェルが口を挟んだ。

「ミスターミネルヴァ、Business Partnershipしてマス。Casino school is part of that!(カジノスクールはその一環です)」

「ビジネス……何て?」

「ビジネスパートナーシップ――業務提携してるって」

何とか聞き取れた七瀬が答える。

「へー、その、何とか湿布? すると、お金に困らないの? どこに貼ればいいの?」

そんな湿布あるならば欲しいと目を輝かせるアキを見て、七瀬は説明するのを諦めた。

「ミッシェル、詳しく教えて」

ミッシェルは肩を竦めた。

「Checkmate Foundation(チェックメイト財団),ah,マイダディと」

「あのアメリカの財閥と、うちの学園長が業務提携……? 何で?」

「え、待って。どういう繋がりなの?」

「全然分からないわ」

アメリカの財団の支援を受けてカジノスクールを新設したとなると、どうにも色々と勘繰ってしまう。莫大な金が絡んだ事業であることは想像できるが、その事業に温泉専門学校の生徒を絡ませる意図は一体何なのだろうか。

七瀬は学園への不信感を募らせた。

始まるのを待っていると、扉が閉まる寸前に渡と八郎が駆け込んできた。

「ふえー。危ないところやったぁー!」

「お前が起きないからだろ!」

「結果、セーフやし問題あらへんわ」

「これで全員、お集まりですね!」

黒いスーツに赤い蝶ネクタイの女性が、にこやかに一行を迎えた。

教室に案内されると、そこにはもう他のC組メンバーも揃っていた。教壇に現れたのは黒いパンツに白いジャケット、黒い蝶ネクタイを結んだ小柄な男性だった。

短めにした髪はほぼ灰色。喫茶店か老舗バーの老マスターという雰囲気だ。

「みなさん、おはようございます。東京テルマエカジノスクール校長のマクシミリアンです」

ミネルヴァほど力強くはないが、渋い声だった。

「校長ってケンタッキーおじさんじゃないんだね」

アキが姉妹校なのに不思議だね、と、隣の七瀬に囁く。七瀬は片手で額を抑えた。

「学長みんながあの姿なわけないでしょ、おバカ」

「ミネルヴァ学園長とは長い付き合いでしてね、彼は実業家だがギャンブラーではない。私はギャンブラーのなれの果てであって実業家ではない、そこが大きな違いです」

堅苦しさは全くなかった。校長は最前列にいる生徒4人を呼んで、教壇の横にある半月型のテーブルに座らせた。

「どんな説明よりも実際にやってもらった方が早い。まずはカードゲームを経験してもらいましょう。君たちの年齢では海外旅行に行ったとしてもカジノには入れないからね……いま君たちがついているのは、ブラックジャックの台です」

校長は箱に入ったままのトランプを取り出し封を切った。

「トランプ、カードと呼ぶのが一般的ですが、カジノのゲームではこれをデッキと呼びます」

校長の手の中でカードがするすると扇型に開き、右手から左手へ凄い勢いで飛んだ。

「ちゃんとシャッフルされているかどうか、よく見てください」

テーブルの上に全部のカードが扇形広げられた。それは3方向からのカメラで教壇後ろのスクリーンに映し出されていた。

「切れてます」

一人の生徒が答えて、全員が頷いた。

「カードを配る係をディーラー、ゲームをするお客さんをプレイヤーと呼びます」

この場では、校長がディーラー、プレイヤーは4人の生徒だ。

「ブラックジャックはポーカーと並んで有名なゲームだから知っている人も多いと思うけど、手元のカードを21にするゲームで、21をオーバーしたらバースト。負けです」

校長は手元にあるアクリルの細長い箱に手を置いた。

「いま私の手にあるひと組、52枚のカードでゲームを行う場合はシングルデッキ。ふた組104枚で行うならダブルデッキと呼びます。カジノではこのカードシューと言う箱にカードを入れて、最大シックスデッキまでカードを使うことがあります。なぜだかわかりますか?」

テーブルに着いた4人はただ顔を見合わせるだけだった。

「デッキ、多い。カウンティング、難シイ」

答えたのはミッシェルだ。

彼女は親がラスベガスでホテルを経営している。流石本場の出だけあり、ミッシェルもカジノには詳しいようだった。

校長は満足げに微笑んだ。

「その通り。シングルデッキだと、それまで出たカードを覚えてしまったらゲームの後半でもう絵札が出ないと読めてしまいます」

「それじゃあ、勝負に出ようと思わんやないか」

八郎の呟きに校長が頷く。

「そうです。大きく賭けなくなるとゲームのテンションも下がります。カードの出方を読むことをカウンティングと言いますが、カジノとしてはそれをやられたら困ります」

校長は、生徒の手元に裏返しで二枚ずつカードを配った。

「開いてごらん」

「あっ!」

「えっ?」

テーブルに着いていた生徒が一斉に声を上げた。他の生徒たちもどよめいた。4人にはマークも揃ったエースとキングの組み合わせが配られていた。

「その気になれば、シングルだとこんなこともできてしまうんだよ」

「カウントされてしまった場合は、どうすればいいんですか?」

「カウンティングに気づけんかったら、カジノ側は大損やないか」

口々に疑問が上がる。

「もしカウントを察知した場合、カジノ側は対抗して早めにカードをシャッフルします。カウント中は視線があわただしく動き、他人がヒットしたカードや流されていくカードにまで視線が向けられるようになるので簡単に察知できます」

「へー」

「また、カードを見るだけなら普通のことですが、ベットする額に不自然な強弱が見られるようになれば、カウンティングを確信します」

ベテランのプライヤーともなれば、全員無意識でカウンティングをしているが、あからさま行為はないので大体見逃すらしい。法的にはカードカウンティングを行なっている者のプレーを拒否する権利をカジノ側は有しており、プレーの続行を断ることもできる。

それからチップを賭けた『正しい』4デッキでのゲームが行われ、最後に校長がもう一度話をした。

「皆さんはIR推進法という名前を聞いたことがありますか?」

かなりの手が上がった。校長は頷いて続けた。

「カジノをふくむ複合型リゾートを開発して、海外からもっと観光客を呼び込む。それが目的です。現在東京のお台場、大阪、長崎、北海道の苫小牧、名古屋など数カ所が候補に挙がっていますが、どこに決まってもディーラーの数が足りません。日本には養成学校が少ないからです」

温泉地とそのようなリゾートが結びつく可能性もある。だから観光業に関わる限りはカジノが何であるのかも知っておいてもらいたいのだと校長は話した。

ただ、それが成立するのはアクセスが良い都市部に限られるだろう。不便な山奥にある温泉地では、どうあってもそのようなリゾート計画を立てるのは無理がある。

仮に地方都市にカジノを含むリゾート地を建設したとして、波及効果で温泉地が賑わうこともあるかもしれないが……。

「この後は教室でそれぞれのゲームを少しだけ体験してもらいます。それで皆さんは体験講座で何を選ぶかを決めてください。私の孫が案内と後の説明をします、マヤ・ヘンダーソンです」

ゆかり女史よりも派手に輝く金髪と、長身の美女が教室に入ってきた。

胸元のボタンがはち切れんばかりの巨乳、形のいいヒップ、すらりと長い手足、どれをとってもパーフェクトボディだ。ゆかり女史顔負けの美女の登場に、その場は大いに盛り上がった。

「みなさん、よろしくお願いいたします。マヤ・ヘンダーソン、です。日本語は、普通に話せますから、安心して」

「生ブロンドや」

「おっぱいぽろんしそうですねぇ」

「二郎、そんなすけべ心丸出しはあかんでぇ」

鼻の下を伸ばし、空中でおっぱいに照準を合わせて揉むような仕草をする八郎に、二郎がニヤニヤと答えた。

「師匠も大概じゃないですかぁー。へへへ。しかしいいおっぱいですね」

「おっぱいソムリエの二郎がそう思うんやから、間違いあらへんな」

「形も大ぎさも良い。弾力もある」

「なかなか分かってるやないか――って涼香ちゃんかい!」

振り返ると、そこには眼鏡を光らせ、くいっとフレームを押し上げる涼香がいた。八郎は飛び上がった。

「いつからおっぱいソムリエになったんや? そんなキャラちゃうやろ涼香ちゃん」

「何のごどだが分がらねぇ」

涼香はすっとぼけた。

――その後、ディーラー役のマヤに鼻の下を伸ばした八郎以下男子達は、仮想通貨を使ったゲームで散々翻弄された後、骨の髄まで搾り取られ、撃沈することとなった。

つづく