【小説】東京テルマエ学園 第1章8話 『奥飛騨温泉で課外実習。混浴露天風呂の果てに』前篇

「校、外、じっ、しゅー、だー!!!」

「「いえーい!!!」」

バスを降りた途端両手を突き上げ、飛び上がって喜んだのは汐音と萌、それから穂波だ。

「うおおお、混浴やー!!!」

両拳を握り締め、興奮で体を震わせるのは言わずもがな八郎である。男のロマンと期待を盛り込んだ魂の一声に、賛同する男子が拳を振り上げ「うおおお!」と鬨を上げた。

「バッカじゃないのマジで。男子ほんとヤバイ。頭イカレてるわ」

「裸見たってどうしようもないのにねぇ。猿とたいして変わらないのに」

「あっはっは、猿と一緒にしたらいかんぜよ」

バスから荷物を降ろしながら騒ぐ男子に冷ややかな視線を送る七瀬、荷物を抱え小首を傾げるアキに隣にいた圭が声を上げて笑った。

テルマエ学園一年C組の一行が辿り着いたのは、奥飛騨温泉郷の最奥に位置する新穂高温泉だ。ゆかり女史の混浴学の一環で、本物の混浴温泉を体で知るためわざわざ奥飛騨までバスに揺られてやってきたのだ。

生徒達がお世話になる温泉宿は『ミシュラングリーンガイドジャポン2009』において二ツ星評価を受け、TVの温泉番組でも何度も取り上げられたこともある有名な秘湯の宿である。奥飛騨屈指の北アルプスの景観美と豊富ないで湯が特に有名で、事前に情報を得ていた生徒達は誰もがこの宿に泊まれること、そして温泉に入れることを楽しみにしていた。

「ここが私達がお世話になる『焼岳旅館』さんよ。私達は客という立場であるけれど、学ばせてもらう身でもあるの。失礼のないようにね」

玄関まで従業員総出で迎えてくれた旅館を前に、ゆかり女史がよろしくお願いしますと頭を下げる。それに倣い、元気に挨拶をしながら頭を下げた生徒たちを女将さんはにこにこ笑って受け入れてくれた。

「良い雰囲気の旅館だねー!」

「いいねぇ、この趣のある感じがたまんねェなァ!」

ぞろぞろと旅館へ足を踏み入れ、ぐるりと玄関を見回した萌と穂波が興奮したように声を上げる。旅館自体は木造で古びた感じではあるものの、むしろそれがこの地に馴染んでおり、素朴な雰囲気は都会のあくせくした時間を忘れさせてくれるようだった。

「わっ、すご! このシカ、生きてるの?」

「バカね、剥製に決まってるでしょ」

廊下に飾られている鹿の剥製をおっかなびっくり突こうとした汐音、その手をぺちんと叩き落し、冷静に指摘した優奈はフンと鼻を鳴らした。旅館の置物には触ってはいけないのだ。

アキと七瀬、それと涼香が割り振られた部屋を開けると、太い梁を活かした風情豊かな古民家づくりの客室が広がり、思わず感嘆の声が漏れた。荷物を置くのもそこそこに、アキは大きな窓へ駆け寄った。外には自然豊かな景色、GWも間近だというのにまだ気温の低い山中にはちらほらと桜が咲いているのが見える。眼下に広がるのは大小の石が転がる河川敷と、真ん中に流れる透き通った川。せせらぎの音が心地良い。

「荷物置いたらさっそく温泉かー。バスでずっと座りっぱなしで疲れてるから別にいいんだけど、入るのが混浴っていうのがね……」

「混浴学ん授業だはんで仕方ねげど、大塩くん、はりぎってだね……(混浴学の授業だから仕方ないけど、大塩くん、はりきってたね)」

「きっと私たちの行くタイミングを見計らうために入口でスタンバってんでしょうね……ほんと最悪」

八郎にはドローンで女湯を覗かれたりションベン小僧に扮して女湯に潜入されたりと散々セクハラされているため、本物の混浴で奴が大人しくしているとは到底思えない。バスを降りてかなり興奮していた八郎の様子を思い出して、七瀬と涼香はそろって肩を落とした。

そんな二人を振り返って、アキはにっこり笑う。

「大丈夫大丈夫! 猿だと思えば問題ないって!」

「アキはそればっかだし」

「さすがに、あったらにエッヂな猿はいねど思うよぉ……(さすがに、あんなにエッチな猿はいないと思うよぉ)」

行く気はしないが、授業の一環なのだから仕方がない。三人は水分補給をしてから着替えとタオルを手に部屋を出て、ちょうど廊下を歩いていた優奈たちと一緒に混浴露天風呂の出入口のある内風呂の大浴場へと向かった。

バスを降りてからというものずっと上機嫌な穂波は、混浴だというのに鼻歌を歌いそうなほど足取りが軽い。貸し出された旅館ネーム入りの草履がとてもよく似合っている。

「穂波さん、なんだか楽しそうだね?」

「ああ、穂波は大の温泉好きだから……」

「楽しくねェわけないだろアキの嬢ちゃん!」

呆れたような優奈の言葉を遮って、いつものどっしりした余裕はどこへやら、穂波はアキへ活き活きと詰め寄る。

「平湯、福地、新平湯、栃尾。そんでここ、新穂高を総称して奥飛騨温泉郷っつーんだ! 奥飛騨はなんつッても、日本随一を誇る露天風呂の数さ! 至る所に配された巨石がなんとも良い味ィ出して、周囲には北アルプスの雄大な景色! 美しい山の緑に囲まれた中、肌を撫でる爽やかな高原の涼風。ここの露天風呂は『入れ!』としか言いようがねェ、それっくらい素晴らしいロケーションなんでィ!!」

「へ、へぇ……そんなにすごいんだ」

両拳を握り締めて力説する穂波に、思わず七瀬も聞き入ってしまう。

「そりゃそォだ。ここに来て、混浴ってだけで尻込みして露天風呂に入らねエったァ失礼だし、来た意味がねェな!」

「塩原どんがそこまでゆうくれなら、入らんわけにはいかんどね!(塩原さんがそこまで言うくらいなら、入らないわけにはいかないわね)」

七瀬と同じく気乗りしない様子だった圭が穂波の力説を聞いて興味を持ったのか、窓から見える露天風呂を期待するように見つめている。それにうんうん頷いたのは汐音だ。

「混浴って言うけどさー、女の人はタオル着用でいいらしいじゃん? 素っ裸で男の前に出るわけじゃないんだし、水着だと思えばそんな気にならなくない?」

「ま、まあ、それなら確かに」

七瀬も心動かされたのだろう、肯定しかけたけれど。

「ま、見られることはねェだろうが、男のモノはばっちり見えッけどな!」

「なっ……やっぱり無理無理、そんなの無理よ!」

穂波に悪戯っぽくウインクされ、七瀬は真っ赤になって勢い良く首を振る。しっかりものの七瀬とは思えない初心な反応が可愛らしくて、つい皆で笑ってしまった。

内風呂の大浴場までは旅館の端なので部屋から少し距離があったが、みんなでおしゃべりをしていればあっという間だ。大浴場の横にある露天風呂の出入口から入り、太い柱でできた通路を暫く行くと、混浴露天風呂の立て看板と脱衣所が見えた。隣にある女性専用の露天風呂に後ろ髪を引かれつつ、アキたちは混浴の方の露天風呂の脱衣所へ向かう。

「おおっ、本日の主役の登場やー!」

「げっ、大塩!」

「やっぱりいた……」

脱衣所の前では、案の定八郎と数名の男子が待ち受けていた。アキ達が女性専用脱衣所へ入るのを見届け、彼らも男性専用脱衣所へ飛び込む。

あいつらと一緒に入浴するのかと気分は落ち込むが、混浴学の一環なのだ。諦めるしかない。

アキ達は腹をくくり、さっさと着ていた服を脱いだ。旅館の受付カウンターで渡された入浴用のバスタオルをしっかり巻いて、覚悟を決めて外に出る。

男子専用脱衣所の出口が向かいにあることに驚いたが、それよりも露天風呂へ続く階段の方がアキ達を驚かせた。階段を降りながらそのまま風呂へ入れるようアプローチされているのだが、問題はその階段だ。

大きな岩でできた階段は急な勾配で、降りたり上ったりするには足を大きく開かなければならない。裸の上にタオルを巻いただけの状態だ、足を大きく開けば、露天風呂へ浸かっている男子にタオルの中が丸見えになってしまう。

「ど、どうする……?」

「どうしよう……」

顔を見合わせて困っていると、穂波が威勢よく自身の太ももをパァンと叩いた。

「しゃーねェさ、混浴なんだ。女は度胸! さっさと入っちまうのが吉でェ!」

そう言って、タオルの中が見えてしまうのも構わずにさっさと岩の階段を降りていってしまった。階段の仕様を理解していたのだろう、露天風呂に浸かってこちらを凝視している男子生徒からは「おおー!」と歓声が上がる。

「さ、さっすが穂波! 度胸あるぅ……」

「ううう、男子がたげこっち見ぢゅよぉ……(男子がすごくこっち見てるよぉ)」

いかにも下町の人間らしい穂波の行動に、萌は口元を引きつらせ、涼香は男子の視線が気になるのか怖がってアキの腕にしがみつく。圭と七瀬と汐音もどうしようかと顔を見合わせていて、優奈は大きなため息をついた。

「ったく、しょうがないわね。わたしが先に降りるから、あんた達は間を空けずに順番についてきなさい。そしたら誰かの足とか体が邪魔でタオルの中まで見えないでしょ?」

「え、でもそしたら優奈が見えちゃうじゃん!」

「忘れたの、わたしの仕事はキャバ嬢よ? ちょっとサービスしてやるくらい、どうってことないわ」

フンと鼻を鳴らす優奈は顎をしゃくると、さっさと階段へ足を下ろしてしまう。穂波のように先に行かれてはたまらないと慌てて汐音が追いかけ、萌、アキ、涼香、七瀬、圭が続く。

優奈の言ったとおり彼女のタオルの中は多少見えたようだったが、後ろに続くアキ達は間をつめて階段を降りたおかげでお互いの体が壁になり、男子を喜ばせることにはならずに済んだ。

先にお湯に入ってはいたが全員揃うのを立って待っていてくれた穂波の元で身を寄せ合って、みんなそろってゆっくりと腰を下ろしていく。テルマエ学園のものよりも少し熱めのお湯が、バスで長時間揺られた体に心地良い。

「あ、あのさ、ごめん優奈。なんか盾にしちゃったみたいで……」

まるで視線を遮るように男子との間へ座っている穂波と優奈。萌がちらちらと男子を気にしながら優奈にお礼を言った。腕にお湯をすり込むようにしていた優奈は萌の方を見ようともせず、無愛想に口を開く。

「別に。あんた達がトロトロしてるからウザかっただけ。それとも何、お礼に翔平の連絡先でも教えてくれるっての?」

「そ、それとこれとは話がちがーう!」

つんとそっぽを向く優奈の隣で、

「こいつはツンデレだからなァ。んーな気にするこっちゃねェさ」

と、穂波がからから笑った。それは何となく分かってきたかも、とアキ達も頷いておく。

「それにしても。絶景かな、絶景かな!」

空を仰ぐ穂波につられてアキも見上げると、雄大な山々が連なり、その奥には槍ヶ岳の姿がくっきりと見える。天気がいいからか、そこにかかるロープウェイがゆっくりと上下していく様まで見えて、アキは思わず七瀬の腕を掴んではしゃいでしまった。

「ロープウェイまで見えるよ! すっごいね!!」

「ほんと! ここまでしっかり景色が見られるなんて……!」

「女性が混浴を選ぶ理由がわかったかしら?」

かけられた言葉に振り返ると、ゆかり女史が豊満な体にタオルを巻いてゆっくりと階段を降りてきているところだった。

ちゃぷんと控えめな水音を立てながら腰を下ろし、空を仰ぐゆかり女史は満足そうに笑う。

「男女で別れるお風呂は数あれど、いまだ混浴を選ぶ女性は少なくない。その理由は、泉質が良いのもあるけれど、温泉から見られる景色が一番なの。男女で別れるお風呂はどうしても仕切りがあって景色の一部を切り取られた形でしか見られないところが多いわ。けれど混浴ならば誰に見られる心配をしなくていいから仕切りがない。その分、見られる景色が段違いなのよ」

ほう、と落とされた吐息は色っぽくて、近くに座っていた男子がごくりと唾を飲んだ。

混浴というものは確かに異性に肌を見せなければならないという固定概念があったけれど、ゆかり女史の言うように、壁や仕切りの無い分綺麗な景色をゆったりと見ることができる。アキの実家である渋温泉でも、温泉につかりながらここまで拓けた景色を見たことがなかった。

「混浴もなかなかいいもんだね!」

アキが元気良く頷くと。

「でもせめて男子もタオルくらい巻いてほしいわ……」

男子から頑なに視線をそらす七瀬は、そう言って両手で顔を覆った。

するとお湯をざばざばと音をたててかき分けながら、鼻の下を伸ばした八郎が近づいてきた。後ろに続く影の薄いひょろい男は鈴木二郎だ。

「いやー、学校公認で七瀬ちゃんと風呂入れるっちゅーのは、ほんま夢みたいやなぁ!」

「混浴学なんてものを作ってくれた学園長様々ですね師匠! あ、お側失礼しますー」

警戒する穂波と優奈の近くに腰を下ろし、さりげなく体を七瀬の方へ前のめりにしながら八郎はでれでれと目尻を下げ、二郎は湯に浮ぶアキの大きな胸を凝視している。

「まあ、こんな風にワニが寄ってくるのも玉に傷だけれど」

呆れたようにため息をついたゆかり女史は、風呂の端に浸かっている一般の男性客をちらりと見ると、ふと思いついたようにアキと七瀬へ身を寄せた。七瀬の肩にそっと手をそえ、気だるげに耳元へ唇を近づける。

「この際だからあなた達、この二人をワニだと思って撃退してみなさいな」

混浴にワニはつきもの。ワニというのは動物園にいるあのワニではなく、女性客の裸見たさで温泉に何時間もずっと浸かって待ち、女性客が来ると獲物だと言わんばかりに群がる輩のことだ。女性客を遠目から見るだけならまだ無害な方だが、わざと近くに移動してきてじっと見たり、話しかけて更に近づいたり、悪いときには追い回したり触ったりすることもあるそうだ。

混浴という特殊な場所でのセクハラに、女性客の多くは泣き寝入りするしかなかったそうだが、それでは安心して混浴温泉に入ることができない。女性客だってやられっぱなしではないのだ。ワニを撃退しようと思えばいくらだってできる。

顔を見合わせたアキと七瀬は、周りを見渡すふりをしてゆかり女史が一瞬目をやった一般の男性客を確認した。相撲取りのようにでっぷり太った中年の男性は肌を赤くしながら、じっとテルマエ学園の女子生徒を一人一人眺めてはむにゅむにゅと口元を動かし、だらしなく目元を下げている。あれがワニなのだろうか。

ゆかり女史からの言葉は、八郎と二郎を使って牽制しろ、という指示だと二人は認識する。

「あ~七瀬ちゃんほんま肌キレイやなぁ。この美肌の湯ぅでもっとすべすべになるんやろうなぁ。せやけどそんなタオルなんか巻いとったら、その下、湯ぅにちゃんと浸かれてへんのちゃう? タオルとったらどないや?」

「あ~~いい考えですね師匠! アキちゃんもタオルとってハダカになったら、もっとおっぱい、ちゃうちゃう、お肌がキレイになるん違います? 僕なんてほら、こぉーんなすべすべになっちゃいましたよ」

自分達の肌を見てみろ、と言いたげに近づいてくる八郎と二郎から同じだけ距離をとりつつ、七瀬はアキの肩を抱いてわざと大袈裟に声を上げた。

「わ、ほんと! アキの肌すべすべー! 超気持ちいい! これタオルとったら全身きれいになるんだろうなぁー」

「タ、タオルとりたいけど、恥ずかしいもんねぇー」

「そうねー。私達ばっかり恥ずかしいのはイヤよねぇー」

「な、七瀬ちゃん、恥ずかしくなんてないで! ワイらもマッパや!」

「そうですよ、世界最初の人間であるアダムとイヴだって真っ裸で生活してたそうですし! 恥ずかしくなんてありません!」

「そう、じゃああんた達二人、階段上の淵でタイタ○ックやってみせてくれない? ほらあれよ、あの有名なシーン。『私、飛んでるわ!』」

タオルをとりたいなんていきなり何を言い出したのかと心配そうに見守っていた穂波たちは思わず「はあ?」と漏らした。八郎と二郎でタイタ○ック? ディカプ○オを見たことあるのかと聞き返したくなるほど謎の人選だ。

けれど七瀬はゆったりと腕を組む。ちらりと挑戦的に八郎を見、「もちろん、フルチンでね」と注文をつける。

「そしたら私達もタオルとってあげるから」

魅力的な案とは裏腹に、自分達のムスコを人様の目に晒すことがどうしても厭われる二人は顔を見合わせ、黙り込んでしまった。そこへ七瀬がまるでドラマで演技をしている女優のようにつんと顎を上げて追い討ちをかける。

「恥ずかしくなんてないんでしょ? それとも、私達のタオルの中は、あんた達のフルチンよりも価値がないのかしら?」

「うぐぐっ、女王様な七瀬ちゃんたまらへん! こんなもん、やるしかないやろッ!」

「やってやりましょう師匠!」

「おお! そんで絶対女子のタオルを剥いだるわ! 待っててや七瀬ちゃん!」

勢い良く立ち上がった八郎と二郎は猛然と階段を登っていく。それと同時に、二人が七瀬の要求を呑むと踏んだのだろう、女子生徒の裸を期待したのか相撲取りのように太った男性がさりげなく階段下へ、女子生徒の裸が間近で見られる場所へと移動した。ゆかり女史と優奈と穂波がアキ達の壁になるよう、さりげなく場所を変える。

ワニの男性の視線に晒されて不安そうなアキ達には全く気づかず、八郎と二郎は階段を登りきり、腰に巻いていたタオルを勢い良く剥いだ。はっとして、アキや七瀬達は一斉に景色の方へと顔を背ける。

堂々と腰に手を当て、こんにちはする小さなムスコを誇らしげに突き出す八郎と二郎。ムスコの可愛らしさにゆかり女史と穂波と優奈がぷっと吹き出した。

「随分とまあ、可愛い息子だなァ」

「子分の方は恥ずかしがり屋なのかしらね? 皮に隠れちゃってんじゃない」

「二人とも、この年齢にしては……可愛い方、ね?」

くすくすとムスコを笑われ、顔を赤くする二人だが、女子のタオルを剥ぐという目的のためにはここで終わってなるものか。ばっと両手を広げる八郎、ぽっちゃりと出た腹に腕を回した二郎は、高さに腰が引けて足ががくがくだ。

「お、押すなよ二郎! フリやあれへんからな、絶対押したらあかんで!」

「わ、わかってますよ師匠! 押したらあかんのですね!」

「せや、押すなよ押すなよ! 絶対、おす、」

「何やってるんだ、こんなところで」

「「うわぁああああ!!!」」

背後からかけられた声に驚いてびっくんと大きく体が跳ねてしまった八郎は、体勢を崩し、ふらふらと前後左右に大きく揺らめく。腰にしがみついていた二郎は、ひょろい体で八郎の小太りな体を支えることができず、思わず前につんのめってしまう。

バランスを崩した二人は、そのまま温泉へ真っ逆さま!

「きゃあ、あぶない!!」

アキが思わず目をつぶろうとした、そのときだ。

ぼよよん、と八郎と二郎は温かい何かに包まれた。まるで母の胸に抱かれる赤子のような心地の良さに、状況も忘れ、うっとりとそれへ抱きついた。

「あぁ〜〜たまらん、ムッチムチやぁ」

「ムチムチでぽよんぽよんで、たまりませんなーししょお〜」

「このやーらかさがたまらんねん、おっぱいみたいな…………おっぱい、やと……!?」

「まっ、まさかこの大きなぽよんぽよんは、アキちゃんの……!?」

はっと我に返った二人が勢い良く顔を上げると、そこには。

「あ、あの……僕のおっぱいポヨポヨするの、やめてもらっていいですか……?」

恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めた、ワニの男性がいた。

「アキちゃ…………は?」

「誰やおまえ…………」

「いや、こっちのセリフなんですけど」

いわゆる八郎と二郎はワニ男の上に落ちてしまい、相撲取りのような大きな脂肪で包まれたおかげで無事だったということだ。

「おい、大丈夫かー?」

落下の原因になったのは渡だ。階段上から覗き込む彼は、落ちた二人を不思議そうに眺めている。

「信じられへん、あの感触が……」

「男のおっぱいやったなんて……」

がくりと膝をつき、呆然と湯を見つめる八郎と二郎。さすがに不憫に思ったのか、近くにいた男子がぽんぽんと肩を叩いて慰めてやっていた。

「すみません、うちの子がご迷惑をおかけしてしまって〜」

他の一般客の目もあるのか、ゆかり女史が濡れたタオルを体にはりつかせながら相撲取りのワニに頭を下げた。いきなり落ちてきたかと思うと体を無断で触られた挙句勝手に落ち込まれ、一体何なんだと不機嫌そうにしていたワニの男性は途端にでれでれと口元を緩ませる。

「ああ、いえ……元気な生徒さんで。無事で何よりです」

「あの高さから落ちて怪我一つ無かったのはお客様のお陰ですわぁ。――まあ、お客様も触られたり見られたりすることが嫌なことだとご理解いただけたようですしねぇ」

にっこりと微笑むゆかり女史に、疚しいことに覚えのあるワニの男性はきょろきょろと辺りに視線を彷徨わせた。女子生徒からは批難の、男子生徒からは嫉みに似た不満の視線にようやく気づき、居心地が悪そうに巨体を揺する。

「いえ、あの、えーっと、何の事かさっぱり……。あ、僕、もう上がらせてもらいます」

慌てた様子で階段を登っていくワニの男性。

見事ワニを撃退し、仁王立ちで見送るゆかり女史にアキ達は「おおー!」と拍手を送った。

「さあ、貴方たちも満足したら出ていいわよ。これから先は、違う混浴温泉を楽しんでもよし、内風呂を楽しむもよし。めいっぱい奥飛騨の温泉を楽しみなさいな!」

「「「はーい!!」」」

ゆかり女史は優雅に両手を広げて自由時間を宣言する。好きに楽しんでいいと聞いてアキ達もわっと歓声を上げたのだった。

つづく