【小説】東京テルマエ学園 第1章4話『兄は、メジャーリーガー級の選手だった』

「んんー、おいしーい! 松坂牛のサイコロステーキなんて生まれて初めて食べたよぉ~!」

「ほんっとに美味しい……! このフリッター、最高なんだけど!」

夕闇に包まれたテルマエ学園は温かな光で灯され、昼とは違う雰囲気をみせる。

アキと七瀬は寮の説明が終わったあと、お腹がすいたので校内食堂に来ていた。食堂というよりも高級ホテルのレストランのような立派なものだ。本当に、この学園はどこも豪華である。

ゆかり女史の説明どおりビュッフェ形式になっていて、自分の好みのものを選んで食べることができる。普段は一般のお客さんも使用するということで、出される料理は全て一級品ばかり。それでいて一品二百円程度だというから驚きだ。もちろんアキたち学生のための特別価格である。

色とりどり、多国籍の料理がテーブルに多く並び、それでいて目の前の大きな鉄板でオーダーしたものをその場でシェフが焼いてくれる。じゅうじゅうと肉の焼ける香りがたまらない。

壁際の一角ではスイーツコーナーが設けられていて、たくさんのプチケーキやマカロンなどといったスイーツ、季節のフルーツやソフトクリームを作る機械まである。

甘いものに目がないアキと七瀬はスイーツコーナーに釘付けだったが、まずは食事に舌鼓を打っていた。

「それにしても、この学園ほんっとすごいよね……。寮部屋って聞いてたから普通に二人で一部屋って扱いなのかと思ってたけど、二人で一部屋とか言いながら、実は4LDKを八人で使うって。どんだけ広いのよこの建物」

「規模がすんごいよねぇ~。そりゃ、こんなにでっかかったら寮の部屋もそーゆー割振りになっちゃうよぉ」

サラダをフォークで刺す手を止めて、七瀬は改めて校内食堂を見渡し、肩をすくめる。アキもごくんとステーキを飲み込んで、パンをちぎる手を止めた。

寮部屋の割振りの結果、アキは七瀬と同室だった。同郷の人は同室になっていた人が多かったので、寮で生活しやすいよう気心の知れた人と同室になるように配慮されているのかもしれない。

「ね、四〇三号室でいいんだよね? 番号、間違ってない?」

「合ってる合ってる。寮の共有ラウンジからして広いと思ってたけど、部屋はもっと広かったよね……」

「部屋のトイレ、全部で三つだって。洗濯機と乾燥機まであったよ。見た?」

「見た見た。乾燥機付きなのは助かるよね。あとキッチンもあったから、この食堂で食べる気分じゃないときは自炊していいらしいよ」

「食堂あるのにキッチンあるとか、意味わかんない……」

「意味わかるわよ、おバカ。自分の食べたいものが自分が食べたいときに作って食べられるってことでしょ。お金ないときだって節約できるじゃない」

「そ、そうか……わたし、お料理あんまりしないからなぁ」

「いつでも作ってあげるわよ。一回五百円ね」

「ここの食堂より高いじゃん! ぼったくりだ!」

「未来の女優の手料理なんだから高いに決まってるでしょー」

じゃれ合いながら食事の手を進めていると、トレーを持った眼鏡の少女と黒髪ショートカットのスレンダー美人がアキのテーブルに近づいてきた。

「すんもはん、クラスも部屋も一緒じゃあな?」

「あ、あのぉ、四〇三号室の人ですかぁ?」

「あ、薩摩おごじょの人」

一度聞いたら忘れられないほど印象的な言葉遣いのスレンダー美人に、七瀬が食事をする手をとめた。首を傾げるアキに、受付のときに同じテーブルだったでしょと教えるが、古代神殿の印象が強すぎて覚えていないと首を振る。

「そうです、四〇三号室。わ、もしかしてあなたたちも?」

「わだす、白布涼香ですぅ。よろしゅうお願い申し上げます。仲良うすたってください!」

「私は大洗圭じゃ。仲良うしとぉせ」

「わたし、温水アキです。こっちは親友の星野七瀬。よろしく涼香ちゃん、圭ちゃん!」

「よろしく」

よかったらどうぞとアキがすすめて、涼香と圭も同じテーブルへ腰を下ろした。二人の独特の喋り方は、東北弁と鹿児島弁だそうだ。聞きとりづらいが、方言というのなら仕方がない。圭はただ標準語が話せないだけだとカラカラ笑っていたけれど、鹿児島弁が聞き取れないアキたちはそちらの方が問題なんじゃないかと目配せし合う。口には出さなかったが。

二人のトレーに乗っているエビチリを見て、それはどこにあったのかとアキが食いつく。酢豚の隣に並んでいた、と応える二人に、さっきは無かったのにとしょんぼりするアキ。可哀相に思った涼香からエビチリを分けてもらって喜ぶアキに、食い意地が張りすぎでしょうと七瀬がこめかみに手を添えた。

涼香と圭とも、七瀬と話していた部屋割りのことや学校が豪華すぎることなどで話が盛り上がり、ついつい声が大きくなっていく。そんなとき、鋭い声がアキたちにかけられた。

「うるっさいわねぇ。レストランで大声出してんじゃないわよ、迷惑なんだけど?」

「あ、ごめんなさい……」

真っ当な指摘に謝りつつ振り返れば、さらさらの茶髪を揺らしてアキたちを睨む優奈の姿。その隣には穂波が腰に両手をあてながら面白そうに笑っている。

「随分楽しそうだと思ったら、四〇三のメンバーだったか」

「穂波さんですよね。それから……」

「この子は源口優菜、静岡県修禅寺温泉出身」

「穂波さん。どうして四〇三号室だってわかったの?」

「そりゃもちろん、寮部屋から出て行くのを見てたからねェ」

「見てたの? 声かけてくれればよかったのに」

「腹ペコの嬢ちゃんたちを引き止めるような野暮なこたァしねぇよ」

そこから見られていたのか、とアキと七瀬は恥ずかしさで頬を染める。食い意地が張っているように思われてしまっただろうか。

隣のテーブルに腰を下ろし、優雅に長い脚を組んでカクテルらしきものを飲む優奈に、アキは目を輝かせる。

「優奈さん、それお酒? もうお酒飲めるんだね! いいなぁ、わたしも飲んでみたい」

「酒だから何よ? あんた、わたしをババアだって言いたいの?」

「ちょっと。アキ、そんな事言ってなかったじゃん。この子は素直に、あんたがお酒飲んでる姿がかっこよかったから聞いただけでしょ。言葉に棘がありすぎじゃない?」

と、カチンときた七瀬が言うと、

「どうだか。その子のことなんて知らないもの、嫌味でも言われたのかと思ったわ。こっちが名乗っても自分は名乗らないわけだしね」

「あっ」

優奈の思わぬ返しに面食らっていたアキだが、名前を知らないと言われて、慌てて椅子から立ち上がる。そのまま勢いよく優奈に頭を下げた。

「温水アキです! ごめんね優奈さん、わたし名前言うの忘れてた。感じが悪かったよね、ごめんね」

「フン」

そっぽを向いてクラッカーをかじる優奈に困った顔をするアキを、穂波がまあまあと宥めて座るように促した。

「気にしなさんな、もともとこいつはトゲトゲしてンだ。七瀬っていったっけ、あんたも悪かったね」

「あ、いえ……星野七瀬です。私こそ自己紹介もせずに突っかかっちゃってごめんなさい」

七瀬に続き、涼香と圭も名乗って軽く頭を下げた。優奈はそれを横目で見て、何も言わないままカクテルに口をつける。その様子を、穂波はくっくっと喉を鳴らして笑いながら見ていた。

「いいっていいって。同じ四〇三の部屋同士、仲良くしようじゃねェか」

「えっ、穂波さんたちも同室なの? うれしい!」

穂波と優奈も同室と聞いて、アキは嬉しそうにぱちんと両手を合わせた。それを見て穂波はにいっと笑う。勢いよく立ち上がったかと思うと、芝居がかった調子で声を上げた。

「さぁてお立会い! ご用と急ぎでない方ァゆっくりと聞いといで。手前、性は塩原、名は穂波。葛飾区柴又の小せェ銭湯の娘でごぜェやす。縁あって、そこの優奈とはこれまで一緒のルームメイトでさァ。根は悪い奴じゃごぜェやせんが、渡世のよしみ、今後とも仲良くしたっておくんなせェ!」

突然のタンカとがらりと変わった口調に、アキたちはぽかんと口を開けるしかできない。穂波は何て言ったのだろう。聞き取れたのは『渡世のよしみ』という言葉だけだが、その言葉の意味すらわからない。

隣の七瀬をつついて、渡世のよしみとは何か尋ねてみるが。

「この世で生きていくこと、生活していくこと。または生活していくための職業、生業……」

まるでどこかのオッケーグーグルのように、淡々とした答えしか返ってこなかった。きっと七瀬も混乱しているのだろう。涼香と圭も、困惑したように顔を見合わせている。

アキたちの様子にきょとんとしていた穂波は、隣に座っていた優奈にこつんと頭を小突かれていた。

「やめなって言ったじゃん。アンタの言葉、突っ込むとこしかないんだから。見なよ、みんな引いてんじゃない」

「決まったと思ったんだけどなァ。ま、しょうがねェか」

「えーと……穂波さん、柴又出身なのよね? その口調はどうしたの?」

ようやく脳の処理が終わったのか、七瀬が言葉を選んで穂波に尋ねた。よく聞いてくれた、と言いたげに涼香と圭がうんうん頷く。答えようとする穂波にひらひらと手を振って、優奈が呆れたように口を開いた。

「気ぃ遣わなくていいわよ。人情時代劇、ヤクザ劇好きの人に懐いてた子でね、間違えた方向に趣味を走らせて、誰が使うんだっていうべらんめぇ口調に憧れちゃって。病気してるお父さんが止めても無駄で、結果がこれよ。まあ気が緩んだときしか言わないけど」

「そ、そうなんだ……え、お父さん病気なの?」

「なンだよ人を馬鹿みたいに。あァ、父さんの病気はだいぶよくなったんだ、だから入学できたンだけどよ。こいつだって今はこんなツンケンしてっけど、これでも歌舞伎町にある『MINERVA』ってキャバクラでホステスやってンだ。しかも地位はナンバーワン!」

「ええー! ナンバーワンホステス!?」

「なによ、文句でもあるの?」

「ないない、文句なんてあるわけないよ! すごーい優奈ちゃん!!」

「ナンバーワンホステスなんて、なろうと思ってなれるものじゃないわ……本当にすごい!」

「そんだけ男を虜にしちょるってことやねぇ!」

「わだすは男のふとが苦手んだんて、本当にすげえで思う……!」

水商売は厭う女性が多いというのに同室の四人からは純粋に賞賛されて、優奈は思わず言葉につまった。それを見て穂波が肘でつつく。四人の反応に安堵したのは付き合いの長い穂波も同じだったのだろう、優しい顔で優奈に微笑んでいた。優奈は何を言うでもなくぷいっと顔をそらしたが頬が赤らんでいるのがばっちり見えたため、アキたちは顔を見合わせてこっそり笑った。

と、突然食堂の扉が勢いよく開かれる。思わずそちらへ視線を向ければ、八頭身美女の汐音だった。きょろきょろと食堂を見回し、入り口に近いテーブルに座っている女子生徒へ片っ端から声をかけていく。どうかしたのだろうか。

なんとなくそのまま話が止まり、各々食事を進めていく。アキと七瀬があと少しで食べ終わるというところで、汐音がアキたちのテーブルにやってきた。

「お邪魔しま~す。お食事中に失礼! 四〇三号室の人って誰か知ってる?」

「四〇三? 私らそん部屋じゃっどん、どげんしたと?(私たちがその部屋だけど、どうかしたの?)」

「え? なんて?」

「おん? じゃっでー、(だからあ、)」

「ストップストップ! えーっと、わたしたち四〇三号室だけど、どうしたのって聞いたんだと思う……」

「おん! そうじゃ!」

汐音の質問に答えたのは圭だった。けれど鹿児島弁がわからなかったらしい汐音は首をかしげてしまい、慌てて七瀬が間に入る。七瀬の通訳は合っていたようで、圭は七瀬ににっこりと笑いかけた。

汐音は七瀬の言葉にぱっと顔を輝かせると、ヤー! と大きな声で歓声を上げる。突然の大声に、優奈と涼香の体がびくりと跳ねた。飲んでいた水をつまらせて涼香がげほげほと咳き込むのを、アキは慌てて背中をさすってあげた。

「よかったー、四〇三号室に行っても誰もいなかったから探してたんだよね! わたしは向坂汐音、福井県の芦原温泉から来ましたー! さっきゆかり先生と話してたけど、特技はダンス! チアダンス部に入ってて、去年は世界大会にも出たよ!」

「知ってる、アメリカの世界大会で優勝したチームでしょ? ニュースの特集で見たわ」

「えー、テレビに出てたの!? うそー知らなかった、録画しとけばよかったー!」

アキが思っていたことを七瀬が口にする。あのニュース七瀬も見てたんだ、と思うアキの前で、汐音がテレビにうつったことを知らなかったことに悔しがった。世界大会に出場したのなら、カメラなんて数台いただろうに。そんなこと気にならないくらい、大会に集中していたのかもしれない。

「あァ、オリエンテーションん時にボンキュッボンのスラッとした姉ちゃんが、ダンスがどーの喋ってンなァって思ってたンだ。ありゃァ、あんただったかィ」

「そう! ここでもダンスできるなんて思わなかったから、つい聞いちゃった!」

どんどんべらんめえ口調が出てしまっている穂波にぴょんと飛び上がって応えた汐音は、じいっとテーブルを見渡し、一つ頷いてアキへ声をかけてきた。

「ね、一緒にダンス部作らない!?」

「ええっ、なんでわたし!? ムリムリ、ムリだよぉ、わたし運動神経鈍くって、ダンスとかからっきしダメだもん!」

「えーそうなの? じゃあ貴方、一緒にダンスやろっ!」

「いやよ、ダンスなんてしたら脚が太くなるもの」

脚の太い女優なんて嫌でしょ、と言いたげな七瀬の脚が太くなった様を想像して、それだと女優にはなれそうもないなとアキも思った。汐音だけは不満そうで、今度は圭に声をかけている。

すると廊下からゴーっという何かが転がり走るような音が近づいてくる。なんだなんだと食堂の扉を見つめていれば、威勢良く開けられたそこにはスケートボードを片手にヘルメットを脱いだ少女がいた。もしかして、そのスケートボードで廊下を走ってきたのだろうか。

「あ、萌! こっちこっち!」

汐音が手を振り、ぎょっとするアキたちを他所に、スケートボードを食堂の入口に立て掛けた少女は金髪の長い髪を揺らしながらこちらに早足で近づいてくる。

「この子もおんなじ四〇三号室なんだよ! 私のルームメイトなの!」

「はじめまして! 秋田県、泥湯温泉からきました、平泉萌でーす」

「は、はじめまして、温水アキです……あの、もしかしてバイクの……?」

「ありゃ、見てたの? まーそうだよね、あのバイクうるさいから目立つよね」

見ていたというか、バイクの音が大きすぎて授業どころじゃなかったから、仕方なく見ていたというか。アキはもごもごと言葉をつまらせる。すると優奈が飲んでいたカクテルを乱暴にテーブルへ置いて、後ろにいた萌へ向き直った。

「あのさ、間違いなら悪いんだけど、あんたの彼氏さあ、野球とかやってる人だったりする? なんか、どっかで見たことあるような動きをしてたんだよね」

「彼氏ぃ? ……ああ、あれは私の兄貴だよ! 昨日まで兄貴のマンションでルームシェアしてたから送ってもらったんだ。って、兄貴の動きだけで野球選手って見抜いたか!」

「兄貴で、野球選手、平泉……ってことは、やっぱりあれは東京エンゼルスの平泉翔平!!」

「バレたのなら仕方ないか。バイクに乗ってるとこをちらっと見ただけで気づくなんてねー。なに、東京エンゼルスのファンなの?」

「エンゼルスもだけど、推しが平泉翔平なの! まさかこんなところで平泉選手と繋がりがあったなんて……」

平泉翔平と言えば、秋田・湯沢北商業出身。甲子園で165キロの剛速球を投げ、あの大阪・桜陰学園との決勝でノーヒットノーランを達成した優勝投手である。打っても投手で4番。しかも1大会で7本のホームランを打つほどのスラッガーで、卒業後の進路では東京六大学か、プロ野球か、メジャーリーガー行きかマスコミを騒がせた50年に一人の逸材である。その後ドラフトでは東京エンゼルスが指名し、投げては18勝、打っても20本のホームランを打ち、その年の新人王を獲得。将来はメジャーリーグを目指している、とんでもない選手なのである。

その平泉選手の妹が目の前にいる。これはお近づきになれるチャンスに違いない。

先ほどまでのクールさはどこへやら、優奈はまるで恋する少女のようにうっとりと瞳を閉じる。恍惚とした表情は艶やかで、悩ましげに落とされた吐息は同じ性別のアキたちでさえ顔を赤らめるほどの色気をおびていた。さすが、ナンバーワンホステスは伊達ではない。

「お兄さんと随分仲がいいのね?」

優奈の色っぽさから目をそらすように七瀬が尋ねる。昨日までルームシェアをしていたそうだが、男女の兄妹としては珍しいのではないだろうか。

萌は少し照れたような、困ったような顔で頬をかいた。

「うち、経営する旅館が二年前火事に見舞われてねー。兄貴、大学行くの諦めてプロ野球に入ったの。兄貴の契約金でなんとか旅館も建て直すことができたし、しかも私の学費まで出してくれてるんだ。もうさ、反抗どころじゃないじゃん? 感謝しかないよねー」

「そうなんだぁ、いー兄っちゃだべぇ」

なんて優しいお兄さんなんだろうとアキと涼香は手を取り合って感動した。反対に、旅館が火事になったと聞いて、七瀬と圭、穂波はさあっと顔を青くする。萌の場合はお兄さんのプロ野球選手としての契約金で旅館を建て直すことができたが、もし自分達の実家が火事になったらどうするのか。

老舗といえば聞こえはいいが、要は古くに建てられた旅館なのだ。もし火事になれば、古い柱や屋根などはすぐに燃え落ちてしまうだろう。最悪の場合、全焼だ。そうなれば、どうやって再建するのか。その費用は。萌の旅館のことが他人事とは思えず、七瀬は必死に考えを巡らせる。

そんな中がたんと大きな音をたてて立ち上がったのは優奈だ。カウンターでシェフが大きな鉄板で何かを焼いているのを興味深げに見ていた萌の両手をとり、ぎゅっと握る。

「ちょ、なに……」

「紹介して」

「ええ?」

「平泉翔平! 紹介してって言ってるの!」

「え、えー!? やだよ、なんで私がそんなことしなくちゃいけないの!?」

「そんなの、あんたしか平泉翔平の連絡先知らないからでしょ!? お願い、わたし本当に彼のファンなのよ!」

「や、そんなの、わたしが勝手に教えちゃダメなことでしょ!?」

「じゃあ平泉翔平に確認とってよ! 同室の子が連絡先交換したいって言ってるって! それくらいならいいじゃない!」

「連絡先知ってどうするのよ!? 言っとくけど、選手の連絡先ってすんごい高値で売れるんだからね!? プライバシーの問題もあってすっごい厳重に隠されてるんだから、そんなホイホイ教えれるわけないじゃん!」

「連絡先売ってどうするのよお近づきになりたいっつってんのに! あんた妹でしょ、どうにかなんないの!?」

「妹だからってどうにかなるわけないでしょーが!!」

ぎゃんぎゃんと言い合う優奈と萌にアキたちは口を挟めない。しかし言っていることは萌が正しい。兄の平泉翔平は野球選手なのだから、萌を使って連絡先を知ろうとしたって、厳しく管理されているのだから無理に決まっているだろう。

「や、やめてよ二人ともぉ! みんな見てるよぉ!」

「ちょっと穂波さん、あれ止めてよ! 明らかに優奈さんが言いがかりつけてるじゃない!」

「ありゃあ無理でィ。優奈の平泉選手好きは年季入ってっからなァ。こんなチャンスはなかなか無ェ、ダメだってわかってっけど諦めがつかねェんだろ。好きにさせてやってくれィ」

「諦められないって……そもそもキャバ嬢と野球選手が付き合えるわけないじゃん……」

「うるっさいわね! あんたに言われなくたってわかってるわよそれくらい!」

ぽつんと呟いた七瀬の言葉に耳聡く反応した優奈は鋭く七瀬を睨みつけた。萌の手を離し、バンと勢いよく両手をテーブルに叩きつける。七瀬を睨むその瞳にはどうしようもないほどの焦燥が見てとれて、七瀬も思わずぐっと言葉を飲み込んだ。

「わかってるの! だけど、好きになったんだからしょうがないじゃない! 恋ってそーゆーものでしょ!? 違う!?」

「ま、まあ、そうだけど……」

「なら黙ってて! これはわたしと萌の問題なの!」

「ちょっと、私、関係ないじゃん! あんたの一方的な片思いじゃん! 私! 無関係!!」

「無関係なわけないでしょ、あの人の妹ってだけで関係大有りよ!!」

「もー何なのよー! 私おなかすいてるんだけどー!!」

再び始まった言い争いを、七瀬は大きなため息をついて止めるのを諦めた。穂波は面白そうに枝豆を口に運びながら聞いているし、汐音はいつの間にかいなくなっていて、慌てて食堂を見渡すとカウンターで料理を選んでいた。涼香と圭に至っては。

「わ、わだす、先さ戻るね!」

「わ、私も! ごめんなせ、あとはたのみあげもす!(あとはお願いするね!)」

「あっ、ちょ、涼香ちゃん、圭ちゃーん!!」

巻き込まれてなるものかと、そそくさとトレーを持ってテーブルを立ってしまった二人に、アキは情けない声で追い縋る。けれど涼香も圭もごめんねと両手を合わせて、そのまま食堂を出て行ってしまった。

おろおろとうろたえるアキの肩をぽんと叩き、穂波は放っておけと首を振る。七瀬もふるりと首を振ったかと思うと、気を取り直したようにアキへ笑いかけた。

「ね、デザート取りにいこっか」

「あ、そうだった! デザート!!」

さっさとテーブルを立つ七瀬を慌てて追いかけ、スイーツコーナーへ向かう。イチゴのショートケーキ、生チョコの乗ったチョコケーキ、レアチーズケーキにガトーショコラ。色々な種類のプチケーキを前に、優奈と萌の言い争いなんて頭からすっぽ抜けてしまった。

「はああ、全部おいしそう~!」

「私イチゴショートにしようっと」

「どうしようどうしよう、イチゴショートもいいし、フルーツタルトも、あっ紅茶のシフォンケーキもある! ガトーショコラにソフトクリーム乗せてもおいしいだろうし、でもこのレアチーズケーキもいいなぁ~!」

「それから、コーヒーゼリーかな」

「ああー! コーヒーゼリー、それ絶対おいしいやつじゃん! とろとろの生クリームの、絶対おいしいやつ!!」

「じゃあアキも食べれば?」

「うわーー決められないよぉ! 全部食べたいぃ!」

スイーツコーナーの前でアキは頭を抱える。全部食べたら確実に太る。だから一つに決めようと悩んでいるのだが、魅力的なスイーツを前にあれこれ目移りしてしまう。正直、全部食べたい。でも太りたくない。複雑な乙女心である。

さくっと食べたいものを決めた七瀬はケーキを皿に取りながら、ケーキ棚の隣に並ぶフルーツコーナーを物色する。少量ながら山形のさくらんぼが並んでいることに驚き、さすが高級ホテル並みのレストランだと感心しながらありがたくそちらへ手を伸ばす。スーパーではまだまだ値段が高くて手が出せない代物だ。

アキがどのスイーツを食べるのか全く決めないので、七瀬は行儀が悪いとわかっていながらも、つい立ったままさくらんぼを口へ放り込む。じゅわっと甘い果汁が口に広がり、幸せで口元が緩んだ。

と、そこに、先ほど寮部屋へ戻ったばかりの涼香と圭が慌てた様子で戻ってきた。

「た、大変じゃ大変じゃ!」

「寮のラウンジさ貼り紙があったんだべ!」

「ど、どうしたの涼香ちゃん、圭ちゃんも」

二人の慌てように、ケーキで頭がいっぱいだったアキははっと我に返ってテーブルへ戻る。まだ言い争っていた優奈と萌もさすがに口を閉じ、穂波が不思議そうに首を傾げた。汐音だけは二人が気にならないようで、くるくるとフォークでパスタを巻き、美味しそうに頬張っていたけれど。

「貼り紙がどうしたの?」

七瀬が促せば、よく聞いてくれたと圭が目力強く頷いた。

「明日ん授業、午後からテルマエ入浴施設でん実務研修じゃと!」

「ええーっ!?」

「うそ!? 入学早々、実務研修!?」

驚くアキと七瀬に、穂波は分かっていたかのように落ち着いたまま頷いた。

「まァ、この学校だからなァ」

「この学校だからって、何でそんな落ち着いてるの!?」

「考えてもみろィ。わたしら、入学式のあと何した?」

「何って……」

「身を持って知ってもらおうって、屋上温泉に入ったでしょ。もうその時点でおかしいじゃない? この学園は普通の専門学校とは違うの。常識が通じないの。だから入学早々、実務研修があるからって別に驚いたりしないわよ」

穂波から続けて、優奈がため息をつきつつテーブルへ腰を下ろした。どうやら言い争いは終わりらしい。そう気づいて、アキはほっと胸を撫で下ろした。開放された萌も、疲れたように穂波の隣に腰を下ろしていた。

「実務研修かー。併設してる施設でバイトするとかなんとか言ってたねーそういえば!」

汐音がもぐもぐと食べながら言った言葉に、そういえばゆかり女史がそんなことを言っていたと思い出す。まだまだ先の話だと思っていたのに、まさか明日のことだったなんて。

「大丈夫よ。私もアキも実家の手伝いしてたんだから、心配することないって」

にっこり微笑む七瀬にそうだねと頷きながらも、アキは屋上温泉で起きた事件を思い出し、実務研修では何も起きなければいいんだけど、と不安そうに両手を握りしめた。

つづく