【小説】東京テルマエ学園 第1章2話『ドローン、女湯に落ちる』

黄昏の摩天楼の露天風呂は、空に浮かんでいるようだった。

 見たことのない光景にあちこちから感嘆の声が上がる。マジックガラスの柵の向こうには、騒々しい東京の街が仕切られて外を気にする必要がない。

簡単にかけ湯をし、丁寧に畳んだタオルを置いて、アキはそうっとお湯の中へ足を入れてみた。ぬるすぎず熱すぎずの適温を確認して肩までつかる。温かさにほうっと息が漏れた。

「ね、七瀬。うちの渋温泉のお湯とはちょっと違う気がする」

「そりゃそうでしょ。長野のお湯が東京から出てたまるもんですか」

「七瀬のとことも違うよね」

「そうね、そもそもうちはにごり湯だし」

 昨日まで毎日入っていた温泉とはやはり違っていて、アキは各地で温泉の成分というのは違いがあるのだと改めて気づく。アキと七瀬の会話を聞いていたらしいクラスメイトが、同調するようにぽつりぽつりと話してくれた。

「ここの温泉、ちょっとうちのお湯に似てるわ。うちはとろみのある温泉だけど、肌をすべるような滑らかさが似てる」

「私のとことは全然違うね。はっきりとは分からないけど、ここのお湯は軽い気がする、かな」

 眼鏡の清純派美少女――涼香が呟く。

「うちんとごはにごり湯だがら、全然違うべなあ」

話しかけてくるでもなく、実家の温泉との違いを確かめるようにお湯を触り肌に流すクラスメイトの言葉をふんふんと聞きながら、

「人生いろいろ、温泉もいろいろってことだね!」

ガクッと肩を落とすクラスメイトを尻目に、アキは上手に纏められた! とドヤ顔で七瀬に胸を張るが、呆れた七瀬は無言で突き出されたアキの大きな胸を両手で揉みしだくだけですませてあげた。

しかしそのおかげで、互いにまだぎこちなく、緊張気味に探り合っていた空気が一気に弛む。

「それにしても、ここのタオルのデザインやばくない?」

 備え付けのタオルは使い放題となっているが、問題はそのデザインである。

 敢えて誰も触れずにそっとしておいたそれについて言及した少女は、八頭身ばりにスタイルがいい。目鼻立ちが整っていて、人目を惹いて目立った。彼女はニヤニヤしながら続けた。

「どう見ても男のアレなんだけど。前隠したら完全に一致じゃん」

 七瀬は顔を赤らめた。下ネタは苦手なのだ。

 すると、ショートカットの女子が真面目な口調で話題を引き取る。東京下町育ちの江戸っ子、名を穂波と言う。

「でも実はこれ、道祖神と言って生殖器崇拝とも言われ、けっしてイヤらしいものではないのよ」

 クラスメイトの視線が穂波に向けられる。

 穂波曰く、古代から男性の生殖器をかたどった造形物には、多産、豊穣などをもたらす呪術的な力をみとめ、それに対する信仰、崇拝がなされているとのこと。長野の美ヶ原温泉街で行う【道祖神祭り】では、法被を着た男性の担ぎ手たちが集まり、男性シンボルを象った巨大な木製のご神体を担ぎながら温泉街を練り歩き、各旅館を訪問し、宿泊客の女性を乗せて豪快な掛け声とともに除災招福・子孫繁栄を祈願するという。

「だから、“わりとヤバい祭り”で有名なのよ」

 締めくくるように言うと、アキが感嘆の表情で穂波を見つめていた。

「へぇ~、そうなんだ。穂波さんって博識だね。東京生まれなのに、何でも知っててすごーい」

「私、銭湯や温泉好きで、全国500ヵ所の温泉と、東京の銭湯はすべて制覇したんだ。温泉学を極めて、銭湯経営に取り入れたいためにこの学校を選んだんだよ」

「わたしなんか全然知らなかったよ。うー、ヤバい、なんか急に不安になった!」

 アキは頭を抱えた。お湯の中でたぷんと揺れるその豊かな胸を見ながら、七瀬がしみじみと呟く。

「アキは何でもかんでも全部おっぱいに吸い取られちゃうんだろうね」

「そ、そんなー!」

 どっと笑いが起こった。

 初対面から裸の付き合いを余儀なくされどうなることかと思ったが、少女達は少しずつ打ち解けていた

一方その頃、屋上温泉の男湯では、八郎が女湯とを隔てた壁の前で何やら怪しげな行動をとっている。それに気づいた渡が訝しげに声をかけた。

「おい、確か大塩平八郎、だったっけ? 何やってるんだ」

「せや、ワイは平八郎――ってちゃう、それ反乱の人やん! 八郎やで、間違えんといてーな。自分は早瀬っちゅーたっけ? 何って、風呂入るーゆうたら、あれやんか」

 にやにやとする八郎、そこに隣の女湯から楽し気な声が響く。

『ハンちゃんて、元男とは思えないくらいイイ身体してるよねー。うちらの何人かは完全に負けてるよ』

『ソーデスカ?』

『ちょっと触ってもいい?』

『ドーゾ!』

 きゃっきゃと戯れる声に耳を傾けつつ、八郎は胸を張った。

「男同士、親睦深めたいやん? そーこーでぇ、これや!」

 その手には文庫本ほどの大きさしかないドローンが乗っている。

 八郎はちょいちょいと周りの男子を集め、小声で言った。

「同じ男のハンちゃんは女湯の方に行ってしもた。折角身も心も丸裸になって、男同士の友情と絆を深めようっちゅー時にやで。同じ男なのに! おかしいやん?」

「うん……うん?」

 いや、おかしいことは何もない。見た目が女の男なのだから、それが男湯にいたら何人かは鼻血を出して倒れるに違いない。

 渡は白々しく八郎を見た。

「せやからな。ハンちゃんだけハブなのは可哀相や。このドローンなら、ハンちゃんの様子も確認できる。裸と裸の付き合いを実現できるっちゅーわけや」

「はあ。とんでもない理論だな。しかも今女湯にいるの、ハンだけじゃないだろ」

「そらしゃーない。間違ってほかの女の子見てまうのは事故や、不可抗力や。ホンマにええんか? この機を逃して。このドローンは完全防水加工、浸水してもぶっ壊れへん。それが何を意味するか、分かるやろ。自分に正直になりや」

「無茶苦茶だ……」

「大体な、もう外は暗い。こんな豆粒大のドローンなんか見えへん見えへん」

 微かに金属的な風切り音を残して、ドローンは5階の窓から外に飛び出した。

八郎がタブレットを見ながらコントローラーを操作する。

「ああ……結構風あるなぁ、難しいわ」

 ドローンを一度学園のビルから大きく離し、それからゆっくりと接近させた。

「よっしゃよっしゃ、ええ感じ。まっ正面に来たでえ……」

 湯煙に巻かれてはいたが、肌色の人影がながらちらちらと見え始めた。

「これで、急に動かしたら気付かれてしまうんや……ゆーっくり、な」

 そのとき、新宿の高層ビル沿いの風に煽られてドローンが急に降下した。

「あっあかんやつ!」

 八郎が細かく操作をすると、今度ドローンが急上昇した。急速にビルに接近していく。

「うわ、やば!」

 女子の一人が洗い場で立ち上がって顔を上げ、真っ直ぐにドローンを見上げた。

「あ、あかん……あれ、七瀬ちゃんのツレや。アキちゃんやんか!」

 男たちが一斉に声を上げた。ドローンはアキの顔を大写しにして、その頭上をかすめるようにして浴場に突入した。そしていくつもの全裸を一瞬だけ映して茶色いお湯に着水した。

「もうあかん! 知らんぷりや! 俺ら関係あらへん」

「知らんぷりって、ドローンどうするんだよ!」

「証拠なんかあらへんやん。あれに名前書いてないし」

 その頃、露天風呂では女子が全員凍り付いていた。浴槽ではお湯に漂うドローンに洗い桶がかぶせられている。

「どうするの……これ?」

「今のドローンでしょ? 誰か覗いてたってこと……だよね?」

「マジキモい……」

「お湯に沈めちゃえば、死ぬんじゃない?」

「ゴキブリじゃないから」

 とりあえずお湯に沈めてから引上げて、機械に詳しそうな男子に相談することにした。

 浴室を片付けてから男子たちに来てもらい、ドローンを見せる。

「飛び込んできた?」

 男子がクソ真面目な顔で、現場検証のように開放窓や浴槽を見て回ったが、当然のように何もわかるはずがない。

「警察に届けるか?」

「届けたって何もわからないだろ。これは再発防止をいなくちゃいけない……」

 女子たちの不安をよそに、妙に白々しい議論が行われていた。

「これ、ワイが預かって調べてみるわ」

 八郎は神妙な顔でアキに向き直る。

「アキちゃん、怪我せーへんかった?」

「うん」

 浴場を出ようとしていた七瀬がぼそりと言った。

「何でアキにぶつかりそうになったの知ってるの?」

 男子たち全員がその場に凍り付く。

「いや……何でも何も……最初にそう聞いたやんか。なあ……あれ?」

 八郎が同意を求めるように振り向いたが、そこにいた男子グループはいち早く脱衣場に逃げ去った後だった。

「誰もドローンが温水さんにぶつかりそうになったなんて、言ってないよね」

 女子一同が冷ややかに頷く。

「カメラで見てない限り分かるわけないよね」

 また、女子達が力強く頷く。

 八郎は狼狽え、言い訳がましく答えた。

「せやけど、ワイも、風呂に入ってたんやで。ドローン操作なんてできるわけないやん?」

その時、湯舟に浮いていた桶がすいーっと動く。中にドローンを閉じ込めてあるあれだ。

「やだ、動いてるんだけど……壊れてなかったの?」

「な、何でや!? 確かに防水加工はしてあるけど――誰が動かしたんや!?」

「へえ、防水加工なんだー。よく知ってるねー」

「あ」

 穂波が一歩前に出た。

「ちょっ、ちょっ! 待った! 話聞きいや!」

 地獄の般若ばりの顔で詰め寄る穂波に、八郎は両手を体の前で振って懇願した。

「この期に及んで何の話が?」

「ワイは覗きがしたかったんやない! ただ確かめたかっただけや!」

「何を」

「ハンちゃんや」

「ワタシ、デスカ?」

「はあ?」

 女子全員が揃って声をあげた。

「何を言い出すのかと思えば……」

「えっち」

「変態」

「一生ゴミ箱に入ってれば?」

「覗きには変わりないし、ハンを理由に正当化しようとする辺りが汚い。あんたの顔と同じね」

 暴言と非難の声を平然と受け流して、八郎はなおも強弁した。

「ハンちゃんの戸籍は男ゆうてたやん。けど、身体は女とかゆーて。そんなん、ワイらとしても気になるやろ? 女子は直接確認できて、男同士のワイらが見たらあかんっちゅー意味が分からん。ハンちゃんが男やっちゅーなら、ワイらが調べても問題あらへんし、男同士の裸と裸の付き合いは、友情と絆を深めるスパイスやん? 大体、ワイが変態ならハンちゃんの身体隅々まで調べたあんたらも同じ穴のムジナやん? 十分やーらしーで!」

「なにわけわかんない理屈言って……」

「友情を深めたかったのに、ハンちゃんあんたらと風呂入ってしもたから、そやからドローン使ったんや」

「Oh、ハダカ、ユージョー、very Good。デモ、ノゾキはダメ。ゼッタイ、ダメ。セイサイ、必要デス」

ハンが八郎へ人差し指をつきつけると八郎は閉口した。もうハンを盾に屁理屈はこねられない。

追い詰められた八郎は、恥と外聞を棄てることにした。

いや、色々理屈をつけて覗きを決行してしまった時点で、色々棄てているのだが。

「そんなあ、殺生な! 今回は堪忍したってえな! ホンマにただハンちゃんと仲良うなりたかっただけなんや!」

「まあ……そこまで言うなら、ま、しゃーないけどね……」

 塩原穂波が首を振りながら脱衣所に向かった。

「そやろ、ワイは決してスケベェなこと考えて……」

「って、誰がそんな嘘八百信じると思ってやがるんでぇ!」

 穂波が脱衣所引き戸の前で身をひるがえし、八郎の背後を襲った。

「はぐぅおげ!」

 変なうめき声と共に八郎は白目を剥いた。

「うわ……すごい、卍固め……」

向坂汐音が胸の前で手を握り締めながら言った。

「あ、落ちた」

 八郎が失神したところで試合終了のゴングが鳴る。

 もちろん、覗きをした者に慈悲はない。

つづく