【小説】東京テルマエ学園 第1章1話『東京テルマエ学園 入学式』

「疲れた、もう、駄目」

「東京、マジヤバい……」

ようやく辿り着いた東京テルマエ学園の門戸の前、アキと七瀬はぐったりとトランクにすがりついて体力を回復させていた。

――新宿駅。

 そこは都心の中にある巨大迷宮の入口である。

 アキと七瀬はその都会ダンジョンの中に完全に取り込まれていた。押し寄せる人波をどうやってかき分けて進めばいいのか分からず、通路の端へ逃げ込む。

 地元で栄えている場所と言えば長野駅だが、それとはまるで違う混雑ぶりにめまいを感じた。

 『都営大江戸線都庁前駅か西口改札を出て都庁方面への地下道を真っ直ぐ』、これが案内なのだが、正直言って、電車に乗りなれないアキ達にとってはわけの分からない呪文にしか見えない。

 頼みの綱はスマホのマップ、だがそれも建物の中なので位置が検出できない。

 ――RPGで言うと、詰みである。

 二人そろってパニック状態、泣きそうになりながら花屋に道を教えてもらったが、西口改札も人、人、人だらけで酔いそうだ。

「とにかく、一度地上に出よう」

 七瀬の提案でエスカレーターに乗る。

 その時ビル風が強く吹き抜け、七瀬は咄嗟に裾を押さえたが、アキのワンピースがふわりとめくれ上がった。縞模様のパンツと形の良い脚が露わになり、慌てて裾を押さえる。

 地図にある新宿駅西口のスバルビル前で二人は途方に暮れた。

 老朽化に伴いビルは解体されており、囲いにだけ『新宿スバルビル跡地』と表示されていた。地下道の入口など一体どこにあるというのだろう。

 通りかかった人をつかまえて道を聞くが、皆、首を振り知らないと言う。

 その矢先だった。

「Entschuldigen! Was willst du fragen?」

 突然謎の言葉で話しかけられ、アキは固まった後、ぶんぶんと頭を横に振る。

「あ……あいきゃんとすぴーくジャパニーズ」

「日本人が日本語話せないって答えてどうするのよ」

 つっこむ七瀬に囁いた。

「え、え、七瀬。この人なんて言ってるの?」

「し、知らないわよ」

 及び腰のアキと七瀬に困ったような表情を浮かべた相手の前に、一人の青年が現れて流暢な口調で話し掛けた。

「Can you speak English? Brauchst du hilte? Are you in torouble on the road?」

「DAnke! I can speak English Yes I’m lost」

 もはやどちらが何を喋っているのかも判らないままのアキと七瀬を置いて、会話が繰り広げられた後に、外国人男性はかろうじて二人にもわかるthank youという台詞でにこやかに去っていった。

「……す、すごい。お話できてる!」

「君たち、迷子? 日本語話せないって、どこの国から出てきたの?」

 こらえきれないように吹き出す青年は、大変感じが悪い。アキと七瀬は一瞬むっとした。

「迷子じゃありません。東京テルマエ学園に向かうところです」

「ああ、じゃあついてきなよ」

 腹立たしかったが、連れて行ってくれるのならばありがたい。本当は、二人を気にすることなく前を行く青年の背中を蹴り飛ばしてやりたいところだが。まるで都会の雑踏の中に紛れ込んだ子羊たちが、番犬に付いていくような気持だった。

 都心の煌びやかな街中を暫く歩くと、高層ビルの中から明らかに異様な建物が現れた。

「ここだよ、東京テルマエ学園」

これを作った人間は何を考えてるんだと突っ込みたくなったのはアキだけではなく七瀬も同感らしい。

「な、なにこれぇ~!!?」

「古代神殿……?」

目の前の建物は古代ローマ神殿のそれに近かった。そこにマンションが合体した、と言えばわかりやすいだろうか。

 呆然と答える七瀬にアキは自分の認識が間違っていなかったことに安堵と不安を覚えるも、それだけで現実は二人を逃がしてはくれない。異様な建物の目の前に不気味に鎮座する招き猫の像が手を挙げる。思わず抱き締め合った二人の前に、開いたのはこの異様な雰囲気を醸し出す建物の扉。

「ローマ王朝神殿で自動ドア……」

「そうだ、記念に写真とっとこ。ほら、七瀬こっちみてー」

「え、ちょっ」

 スマホを構えられ咄嗟に決めポーズを取れるあたり、流石女優志望だ。

学園についてすっかり元気になった二人に、

「じゃあ、俺はこれで。――あ、そうだ。もう少し大人っぽいパンツはけよ」

 と、駅のエスカレーターで風がアキのワンピースを翻したところを見ていたらしい青年が捨て台詞を吐く。古代神殿のインパクトを前にして青年の存在を忘れていた。

いきなり下着の趣味を侮辱されたアキはムっと頬を膨らませ、彼の後ろ姿を睨みつける。

「余計なお世話です! どうもありがとうございました!」

「お礼を言えるあんたはえらいよ」

「ムカつくけど、助けてくれたのは事実だし……何なのあいつ……!」

「まあ、感じ悪かったよね。助かったけど」

 建物の中に入ると大きなパラソル付きのテーブルがいくつも置かれ、オープンエアのカフェになっていた。そしてそこには『東京テルマエ学園新入生受付』と書かれた大きな看板が立っている。

「テルマエ学園新入生のかた、どうぞこちらへー!」

 スーツの上に法被をはおった女性が、何かの呼び込みのように声をかけてきた。

「郵送した入学書類をお出し下さーい。はい、お荷物はこちらでお預かりしまーす!」

 荷物と交換で何故か温泉手形を渡される。

 アキと七瀬はよくわからないうちに、カードを首にかけられ大きな名札を胸に付けられ、パラソル下の席に引っ張って行かれた。

「遠いところお疲れ様でしたー! メニューがそこにありますから、お好きな飲み物言ってくださいねー! 何杯飲んでも無料ですからー!」

「ダブルショコラ、フラペチーノお願いします」

 七瀬が頼んでアキに視線を向けると、すっかり元に戻ったアキは「無料で何杯でも飲めるならいくつ飲めるかな、お腹たぷたぷになるまで飲んでみよう」とぶつぶつと呟きながら、目を輝かせ、普段値段が高くてあまり飲むことのないメニューを見つめていた。

それにしても、と七瀬は周囲を見渡す。待合カフェの席は、同年代の男女で次々と埋まっていく。

見る限り女の方が少し多く、見た目が良い子が多かった。入学条件に容姿の項目でもあったのかと疑いたくなるほどだ。

特に、アキの前に座った子。

色白で少しふっくらした顔立ち、大きなレンズのメガネの奥にある瞳は大きく、それを縁取る睫毛は長い。名札には『白布涼香 高湯温泉玉湯旅館(福島)』と書かれていた。清楚系美少女だ。

「失礼……しもんで」

 もう一人、職員に案内されてきた子が聞き慣れない挨拶をしてきた。名札には『大洗 圭 霧島温泉清流荘(鹿児島)』と書かれている。

「薩摩おごじょ?」

 七瀬が思わず声に出したその時。

「時間です。そろそろ講堂にお入りください」

職員に促されながら講堂に入っていくと、講堂の中は多くの生徒達で満たされていた。全員がテルマエ学園に新たに入学することになる生徒達だ。

 古代ローマ神殿を模したホールに並ぶのはパイプ椅子だ。正直言って、あまりにも景観とそぐわない。

新入生全員が席についた瞬間に、もの凄い音量でファンファーレが鳴り響いた。その直後、曲調がガラリと変わる。陽気なラテンのリズムに合わせて褐色肌のナイスバディなお姉さんたちがサンバを踊りながら花道を入ってくる。サンバ隊はそれぞれ左右に分かれてポーズを決めた。

何事かと騒めきが起こる中、ステージからプシューっと何かが吹き出す音がして、もくもくと白い煙があがる。

「え、何ぃー!? 七瀬どうしよう、火事、火事だよ! 学校燃えちゃうよぉー!?」

 アキは最早パニック状態だ。

 あれはスモークマシンだと七瀬にはすぐ分かったが、それよりも色々あっけにとられ、情報処理が追い付かない。

 ステージは真っ白で何も見えない。多分、スモークマシンの分量が多すぎたのだ。

 落ち着かずざわめく中、スポットライトが舞台を明るく照らす。煙にまかれる中で人影が浮かび、次第にその容貌が露わになる。

「ケ、ケンタッキーおじさん……」

 誰かが呟いた。

 そこにいたのは、まさしくカーネルサンダースである。正確には、それによく似た、白髪白髭の還暦近いおじさんである。

 だがそれよりも、ケンタッキーおじさんの後ろに控えるサンバ隊が気になり過ぎる。

「馬鹿げた演出はしなくてよろしい。ど肝を抜かせて楽しんでいただくのはお客様だ」

 なら最初からそう打ち合わせをしておけよ、アキの隣で七瀬が呟く。

 少し冷静さを取り戻したアキが首を傾げて「ケンタッキーの社長がどうしてここにいるんだろうね」と囁くと、七瀬は頭を抱えた。

「バカ、あれ、学園長だよ。ていうか、ケンタッキーの社長じゃなくて、あれってお店に飾っている人形でしょ」

 壇上で学園長が口を開き始めた。

「新入生諸君、ようこそ。東京テルマエ学園へよくいらしてくれた。記念すべき学園の誉れ、一期生諸君にまずは歓迎を申し上げる。私が学園長のミネルヴァです」

 ざわざわしていた場内も、しんと静まり返る。

「この学園の設立の目的は古き良き日本の伝統文化を守り語り継ぐ後継者達の育成を目的としておる。いわばホテルや温泉旅館経営のための初の専門学校である――」

延々と話が続くので、割愛する。それから後ろのサンバ隊、あれが気になりすぎて話が全然入ってこない。……彼女たちは、いつまでそこにいる気なのか。

ようするに、何かすごい施設が揃っていて、小さなテーマパークだと思ってもらえればいい、そこで温泉とは何か2年間じっくり考えてくれ、そういうことである。

 日本の伝統文化云々という割に、古代ローマ神殿をモチーフにした施設の外観はどういうわけかとか、そういう細かいことを気にしてはいけない。

 学園長はにんまりと笑って、新入生達を見渡した。

「まあ、長々とあいさつをして退屈だっただろう。そこで、だ。諸君には温泉学とは何たるかを、身をもって体験してもらおうと思う。まずは受付で渡された温泉手形を見て欲しい」

 何故温泉手形を押し付けられたのか、疑問に思っていた学生は多いようだ。不審げに手元のそれに視線を向ける。

「クラス表示」

 学園長の言葉に反応するように、めいめいの手形からホログラムが浮き上がる。そこには自分のクラスと、これから入寮する部屋が記されていた。アキと七瀬はC組。隣の薩摩おごじょと眼鏡っこ清楚系美少女もC組だった。

 アキは思った。

何この奇跡のクラス、そろいもそろって美少女ばかりで、目の保養すぎやしないか――。

いや、私なんか比較検討材料になるではないか。

 ところでこの謎の技術力の結晶の温泉手形、中にはICチップが入っており、スマホと連動するうえ個人情報が入っている。学園施設の出入りの際に必要だと言うので、失くしたら大変だ。

 クラスが判明して騒めく中、学園長は重々しく咳払いをした。

「ではそれぞれのクラスに分かれなさい。そこで課題を与える」

「課題って何だろうね」

「さあね。レポートかなんかじゃないの?」

「そんなぁ~」

 入学早々文章を書かされるのかと思うと憂鬱だったが、指示されるがまま、ぞろぞろと教室に向かう。

 その中に、今朝外国人と絡まれているところを助けてくれ、学園まで案内してくれた、おパンツ覗き魔の姿があった。

 アキと七瀬は互いに顔を見合わせる。

「最悪……」

「パンツマンも一緒とか……」

 彼もこちらに気づいたようで、思い出したように吹き出した。

「よう、縞パンツちゃん」

「うぐっ……私には、温水アキって名前があるんですけどね! パンツマン!」

「誰がパンツマンだ、俺は早瀬渡だ! 大体あんな色気ないパンチラ見たところで……」

「……ねえ、もうアキのパンツのことは忘れてあげて」

 七瀬が生ぬるい目を向けて言うと、渡はふんっとそっぽを向いた。

 席は特に決められておらず、自由に座るよう言われてめいめい座って担当者を待っていると、後ろのドアが勢いよく開く。

「あーあ、すっかり重役出勤してもうたみたいやな」

 金ぴかの扇子をパタパタ仰ぎながら入ってきたのは、表か裏かさっぱり判らないスーツを着た、ボサボサの頭の背の低い小太りな男である。この日のためにあつらえてきた洋服なのか、寸法が合わなかったのだろう。袖が手の甲のところまで被っている。

男はアキたちの座っている椅子のところに堂々と割り込んできた。

「ねえちゃん、ちょっと席変わったってくれへんか? ワイ、隣のベッピンさんとお近付きになりたいねん。ワイは、大阪はなにわ区ちゅうところから来た大塩平八っちゅーもんや。なあ、ベッピンさん、お名前聞かしてくれへん?」

アキのことを全く無視して七瀬に話しかける男に、呆れたのを通り越して感心した。

七瀬はその態度にマイナス50点をつける。

さらに相手は金ぴかのスマホを取り出した。ド派手な金銀張り付けたスマホのデコレーションは趣味が悪い。更にマイナス50点。もはや視界に入れる必要はない。

完全無視を決め込む七瀬に、男はめげる様子はない。

「いやぁ、クールビューティやなあ。ますます気に入った!! ベッピンさんがつんと澄ましかえっとるのもたまらん!! 目の保養、目の保養」

さらに八郎が立て板に水のごとくまくしたてる。

「なんやここ、どうみても風呂屋やんか? うちも大阪でスーパー銭湯経営しとるんやけど、まだうちの方が上品やで。どうせならパーッと金ピカにしたらええと思いまへんか? ほれワイのスマホなんか18金のカバーに24金ビリケンさんで、合わせて56金でんがな」

 八郎また勝手に一人で大笑いしたが、アキは何が面白いのかわからなかった。

「そこ突っ込んでや! 『足し算間違っとるやんけー!』って」

七瀬は八郎を相手にせず、冷ややかな表情でそっぽを向いている。

 その時、教室の外からカツーン! と甲高い足音が聞こえてきた。

ハイヒールの音は教室の扉の前で止まり、いきなり教室の扉が開けられる。

現れたのは、胸元の大きく開いたオフホワイトのブラウスに豊かな胸の谷間を覗かせ、ボディラインが露わになるようなタイトスカートをはいた妙齢の女性だった。その色香は、男子だけでなく女子も引き寄せられるほどだ。

「みなさん、初めまして。私がC組を受け持つことになった橘ゆかりです」

 教室内の生徒達の視線が彼女の胸元、太腿に集中する。

 八郎などは、あからさまに鼻の下を伸ばして胸を凝視している。

「あれが先生? どこかで見たことあるような……」

 小声で呟く七瀬。アキは「リアル不二子ちゃんだ……」と感動しきりだ。

 唖然とした視線を特に気にした様子もなく女性は教壇に立ち、生徒達を見下ろす。

ホワイトボードに、あえて赤のボードペンで大きく「橘ゆかり」と名前を書いた。

「みなさん「ゆかり女史」と呼んでね」

 外見に違わぬ艶めかしい声色に、生徒達は喝采をあげる。一人、渡だけが冷めたように腕組みをしたまま前方を凝視している。

 ゆかりが片手をあげると、測ったかのように教室内のざわめきが収まる。ゆかりは満足そうな笑みを浮かべ、口を開いた。

「前置きはさておいて。入学式で話のあった課題について説明するわ。課題の後でオリエンテーションをするから、皆時間厳守でお願いね」

それはアキの予想をはるかに上回る課題だった。

 ――曰く、学園自慢の屋上温泉に入ること。

 入学早々温泉に入るとは、やはり相当変わった学校のようだ。

 ところが、浴場に行くという時になって予想だにしない事態が起こった。

「チョト、イデスカ?」

留学生の一人が手を上げた。タイの留学生でニムライチャッカ・ソムバルメークンだ。本名は長いから愛称の『ハン』で呼んで欲しいと、留学生の自己紹介の時に言っていた。

「ワタシ。国ノ、戸籍、オトコデス。ドッチ入リマスカ?」

 一瞬、全員がその場で固まった。

「ええーっ?」

「ツゥーイヤーズ。二年、マエ『レディーボーイ(ニューハーフ)』ナリマシタ」

ハンはにっこり微笑んだ。胸の膨らみも、顔も体のラインも女性にしか見えない。

「学園長は、知ってるんだよね?」

ゆかり女史が問うと、

「チャーイ(はい)」

 猫が鳴くようなエロい声でハンが答えた。

「マンゴロー、サンガ、ヘッドティチャーに、オネガイしてクレマシタ」

「マンゴローさんって、誰?」

「マンゴローサンは、シンジュク2丁目の、有名ナヒト。ワタシの国デ、レディボーイタクサンお世話ナテル」

「あー、何となくわかったけど……まあいいや。ちょっと、いちお、体見せてくれる?」

 そう言って金髪の女性がハンを女湯の方に連れて行った。他にも数人の女子が二人について行った。やがて悲鳴に近い歓声がどこかから聞えてきた。

「文句なしに女だわ」

 ラウンジに戻ってきて金髪の女性が言った。

「まぁ、いいわよ。あなた女性として登録されているし、当然女湯に入っても差し支えないようだし」

つづく